当時知られていた最新の地理知識を使ったと考えられる航海地図で、1929年にイスタンブルのトプカプ宮殿博物館に収蔵された写本類の中から発見された。

地図はガゼルの羊皮紙で作られたもので、インド洋を描いていたと思われる右半分は失われてしまっており、現存する部分は大西洋を中心に描いた左半分の断片である。

大西洋を描く残存断片はこの海域の航海図になっており、陸地としてイベリア半島とアフリカ大陸北西部、南北アメリカの東海岸、および南アメリカから伸びる陸地が描かれている。

南アメリカから伸びた陸地には、周辺を航行する船と、動物が描かれている。

この地図は、クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸を「発見」し、アメリゴ・ヴェスプッチが南アメリカを調査してから間もない時期に描かれているにもかかわらず、

アメリカ大陸を非常に詳細に描いており、コロンブスやヴェスプッチの原図が失われた現在では、アメリカ大陸を描いた史上最古の地図といわれる。

地図に付された文によると、この地図は1513年に作成され、1517年にエジプトを征服したセリム1世に献呈された。

ピーリー・レイースは、総計で33枚の地図を参考にしたという。

ピーリー・レイースが地図を描くにあたって参考にした情報源には、イスカンダル王(紀元前4世紀のアレクサンドロス大王のこと)の時代から伝わるものを含んでいたともいわれる。

8枚はイスラム世界の地理学者のもの、4枚はポルトガルの航海者の作成したもの、1枚はコロンブスの新大陸地図であるといい、残り20枚の詳細は明らかにされていない。

この地図には、南アメリカの南から伸びた陸地がさらに東に伸び、大西洋の南へアフリカ大陸の下に回り込むように地図中に書き込まれているという不可解な点がある。

この陸地は、地図が描かれた時代よりもかなり後の19世紀に発見された南極大陸の北岸とも思われることから、歴史史料としてよりも、むしろオーパーツとして世界的に有名になっている。

オーパーツ説を取る人々は、ピーリー・レイースがイスカンダル王の時代から伝わる資料を基に地図を作成したため、古代から伝わる南極に関する正しい知識を利用することができた傍証であると考えている。

南極大陸の陸地の完全な描写がなされている。

南極大陸は、発見が1818年、全陸地の地形の地図化成功が1920年であるが、この地図には1513年当時、未発見であり、しかも氷に閉ざされていて当時の技術では観測不能であるはずの南極大陸の輪郭が描かれている。

南北アメリカ大陸の海岸線が描かれている。

コロンブスのアメリカ大陸到達は1492年であるが、それから20年少々しか経っていない1513年に海岸線の調査が進んでいるわけがない。

地形の歪み方が正距離方位図法のようである。

地形の歪み方や位置が、地図の図法の一種「正距方位図法」を用いて描いたものによく似ているが、

正距方位図法でこれほどの地図を作るには、各地点の緯度、経度を正確に計らなくてはならない。

しかし、経度の測定法が確立するのはクロノメーターが発明された18世紀である。

と言われている。