心霊-都市伝説ナビ-

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    名前を出すとまずいのかも知れないから、伏字で書きますね。

    今年の夏、家族で平○平温泉に2泊の旅行をしてきました。
    ここは、湯西川とならんで平家の落人伝説のあるところで、いわくある土地柄。
    なんとなくイヤ~な感じはしたのですが、何より露天風呂のロケーションがすばらしいとのことだったので、行くことに決めたのです。

    ついてすぐ通された部屋は、広くて明るかったのですが、どことなく陰気な雰囲気がして、気になりました。

    私は宿の主人に頼んで、他のあいている部屋を見せてもらいました。もし、もっといい部屋があるんだったら、移ろうと思ったからです。

    でも、他の部屋はもっと薄暗く圧迫感があり、(特に離れなんかは)いたたまれない
    ような感じがしました。

    結局、最初に通された部屋に荷物を置きました。
    そして、すぐにお風呂に入りに行ったのですが、そのあと、子供たちに異変が起きました。

    6歳と1歳の娘の二人とも、ぐったりして、目の焦点があわなくなっているのです。
    主人はびっくりして「風邪かもしれない」と言いましたが、それにしては熱も出てないし、様子がへんでした。

    おそらく湯あたりだろう、ということになり、二人を布団に寝かせて私たちはしばらく様子を見てました。

    でも、ちっとも回復しません。呼吸は荒く、顔は真っ赤です。
    話しかけても、ぼんやりして、聞こえていないみたいです。
    私は気味が悪くなってきました。
    落人伝説にからむ、ある「噂」を思い出したからです。

    その「噂」とは・・・

    平家の落人たちは、子孫を絶やさないためにも、どうしても子供が欲しかった。
    子供が生まれなければ、せっかく生き延びても、平家の血が絶えてしまうから。
    その執念・怨念が現在まで残っていて、幼い子供たちがこの地を訪れたとき、子供欲しさの一念から子供たちにとりつき、運が悪ければ道連れにされてしまうこともある、というものでした。

    私はその話を主人に聞かせ、「もう帰ろう」と頼みました。
    でも、運の悪いことに、台風が関東地方に接近していて、雨・風ともに強まりはじめたときだったので、ただでさえ視界の悪い山道を移動するのは非常に危険なことでした。

    結局、その宿にとどまって、娘たちの様子を見守るしかありませんでした。
    夕食の時間になりました。
    娘たちは、呼びかけてもこんこんと眠り続けるばかりで、目をさます気配すらありません。
    仕方なく、私たちは夫婦二人だけで食事をとるために、広間に向かいました。

    賄いの女中さんが、私たちを見ると怪訝な顔をして「お子様は?」と聞いてきました。
    お膳は3つ並べられているのに、二人しか来ないのですから変に思うのは
    当然のことです。(1歳の娘は、まだ1人前を食べることはできないので、食事の人数に含まれてはいませんでした)

    主人が「いや~。なんか具合が悪いみたいで、布団しいて寝てるんですよ。
    起こそうとしたんだけど、なんかぐっすり眠ってしまっているんで僕たちだけで来たんですよ」と説明すると、その女中さんの顔色が変わり
    「いったいいつから具合が悪くなったんですか?」と聞いてきました。

    私が「ここへ来て、お風呂に入ったあとすぐなんですよ」と言うと、「・・・そうですか・・・」といったきり、何かを考えている様子でした。

    私は気になり「どうかしたんですか?」とたずねると、彼女はとってつけたように「いえいえ。でも気をつけた方がいいですよ。このへんにはお医者もありませんからねえ」と言ったあと、奥にひっこんでしまいました。

    主人も何かを感じたらしく、「なんか様子がおかしいね」などと言っていました。

    食事を終えて部屋に戻っても、娘の様子は変わりありませんでした。
    下の娘は何度か目をさましましたが、ミルクを飲もうともせず、ぐったりとしています。上の娘は眠ったきりです。

    夜も更けてきました。
    私たちは、何もすることがないので部屋でビールを飲み始めました。
    そして、何枚か写真もとりました。

    次の日、台風が関東を直撃して大雨が降り続き、山沿いの道路も冠水しているとのことでした。一刻も早くうちに帰りたかったのですが、そういう状態では、もう一日
    そこにとどまるしかありませんでした。

    娘たちは相変わらずです。私たちはなすすべもなく、見守るしかありません
    でした。

    風邪や湯あたりではなく、目には見えない者たちの力のせいでこういうことになっているのだろうと、なんとなく私たちは理解していました。

    食事の席は、いつも私たち二人だけが座り、娘のお膳は空いたままでした。
    とうとう2泊のあいだ、娘たちは一滴の水も飲まず、ものも食べず、眠ったり、ぼんやりしたりするばかりだったのです。

    とうとう、帰る日になりました。
    朝の7時半に「食事の用意ができています」との電話があり、私たちは
    広間に向かいました。

    席に座ると、この間の女中さんが「子供さんたちはいかがですか?」と
    聞いてきました。

    主人が「相変わらずなんですが、今日はチェックアウトの日なのでなるべく早めに宿を出て、途中で病院に行こうと思ってます」と答えると「そうしたほうがいいですよ。ここは小さいお子さんは来ないほうがいいんですよ」と言うではないですか。

    思わず「?」という顔をすると、彼女ははっとしたように
    「ここは近くに病院もないですからね」と言って、そそくさと奥に引っ込んで
    しまいました。

    食事を早々にすませ、部屋に戻ると・・・。
    娘たちは、まだぐったりとした様子で眠っていました。
    私たちは音をさせないように気をつけながら、身支度をはじめました。

    主人は服を着替え、私は化粧をしていました。
    そのときです。

    部屋の入り口のドアから続く襖のかげで、「○○ちゃん」と呼びかける女の声が
    はっきりと聞こえたのです。
    「○○」とは、下の1歳の娘の名前でした。

    もちろん、部屋に鍵はかかっているし、誰も入ってくる音などしませんでした。
    ただ、声だけが聞こえたのです。
    私は悲鳴をあげて、主人にしがみつきました。
    主人は怪訝そうな顔をしていましたが、私の話を聞くうちに顔色が変わっていきました。
    そして「一刻も早く、ここを出ような」といいました。

    私たちが恐怖に震えているとき、娘たちが目を覚ましました。
    丸2日近く、正気にかえることのなかった娘たちが目を覚ましたのです。

    娘たちはすっかり元気になっていました。私たちは狐につままれたような気持ちでチェックアウトを済ませました。
    車での帰り道、いろいろ聞いてみましたが、その2日間のことははっきり
    覚えていないようでした。

    無事に家に戻り、荷物をあけました。
    いつも持ち歩いている、災難除けの木のお守りをバッグのポケットからとりだすと、
    娘2人の名前の書かれた、それぞれのお守りだけが、真ん中から真っ二つに割れていました。

    後日、部屋で撮った写真を現像してみたところ、窓の外にいっぱい得体の知れない者たちの姿が、浮かんでいました。

    長々とカキコ、すみませんでした。
    でも、あのお守りがなければ、娘たちはどうなっていたのかと考えると今でもゾっとします。あの「女の声」は、娘にお別れをいいにきたのではないかと、主人は言っています。

    とにかく、もう2度とあの旅館に行くつもりはありません・・・。

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    491 
    今住んでるとこもなんか変なんだよね。
    去年の秋に入居した横浜市南区のマンションなんだけど築13年
    駅からも近いし日当たりもいい4階の角部屋なんだけど・・

    なんか住んで3週間くらいたったあたりから夜中に風呂場に人が
    いる気配がしたり水道の水周りが詰まるからみてみたら長い髪の毛が
    つまっていて何回掃除してもやっぱりまた長い髪の毛がつまる。
    入居した時に鍵も全部とりかえたのに留守の間に誰かがはいってきた
    気配がするんだよね。たとえば外出した時に確かに部屋のドアをしめて
    出たのに帰ったら開いてるとか。

    この間も夜中に隣から人のささやく声がきこえたんだけど・・
    ここは角部屋。隣に人は住んでない。


    492
    >>491
    南区ってN田町なら私も昔住んでいたよ。懐かしい。
    で、私が住んでいた家も良くでました。
    怖い思いをしたのはそこに住んでいた時だけ。
    土地がやばいのかもね、外人墓地(保土ヶ谷の方になるけど)があるし
    今は知らないけど昔は防空壕跡もあちこちに残っていたし。

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    東京・四谷にある上智小劇場は、上智大学の中にある小さな劇場です。
    大学の中でも一番古い建物である、一号館のどんづまりにあるこの劇場は、かつてチャペルとして用いられていたのですが、大学紛争時に、学生が演劇活動をするための場所が必要であると、先日退官されたある神父様が意を決して黒塗りにしてしまったという、いわくつきの場所です。

    この劇場に足を運ぶと、そんな往時のチャペルを思わせる内装が目に付きます。
    客席を寸断するように並ぶ太くて四角い黒い柱には、チャペルの装飾が施してあります。
    実際に芝居をやる僕たちにとっては、ちょっと邪魔っけで、でもなんか伝統を感じさせてくれるような、不思議な空間を形作るものでした。


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    劇場には人の気が集まりやすく、いろいろな怪異も起こりがちだと言いますが、この上智小劇場もご多分に漏れず、様々な話が伝えられていました。
    幼児が客席を走り回って、黒い柱の中に消えたとか。
    一人で舞台に残って稽古をしていて、気配を感じて振り返ったら、無人のはずの客席に満員のお客さんがいたとか。

    しっかり固定したはずの重い照明が、さっきまで役者が座っていた舞台の真ん中にいきなりガシャンと落ちてきたりとか。

    そんな場所なので、僕たちは必ず、舞台稽古に入る初日には、舞台に向かって右側、上手の隅の暗がりにお神酒を備え、舞台の無事と成功をお祈りしたのでした。
    カトリック系の大学なのに変な話ですよね。


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    その時一緒に舞台に上がっていた女の子の中に、感じやすい人がいました。
    僕と同じ新人です。彼女ももちろん、神妙な顔でお祈りに参加していました。
    しかしその翌々日、舞台稽古に入って3日目、いよいよ明日は本番という日の夜7時頃だったでしょうか、稽古中突然、舞台袖の暗がりで、大声で叫んだのです。
    「嫌ァ!」
    彼女はそういうと腰を抜かして、大声で泣き崩れてしまいました。
    舞台監督をしていた先輩も、ただならぬ雰囲気に稽古を中断し、腰を抜かした彼女をとりあえず照明の当たる舞台中央へと運んできました。彼女はガクガク震えていました。
    「あそこ、こわい…なんか、なんかいた気がする!」と半狂乱です。

    先輩たちは、結構こういうことに慣れているのか、彼女の肩を抱いて慰めます。
    「大丈夫だから、悪さはしないから」
    しかしこの時初めて舞台を踏む僕は、彼女が泣いている姿がかわいそうで、そして彼女を泣かせた存在にマジでむかついて、彼女が怖がった場所にずかずか入っていくと、「どっかいけ馬鹿野郎!」と暗がりに向けて大声で叫んだのです。

    先輩たちは呆れ顔でした。


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    その後は彼女も、いろいろ気配を感じつつも落ち着きを取り戻しました。
    怪異があろうとなかろうと、舞台の初日は待ってはくれないので、みんなで深夜まで毎日稽古を続けていました。あっという間に初日、そして楽日(最終日)です。

    舞台が進んで、僕の出番。かれ気味の声をだましだまし出して演技をし、なんとか終了。あとは曲が鳴って、暗転の間に暗闇を5歩歩いて舞台から退場するだけです。
    みんな無事に最終日までやり遂げることができた、お客の入りも悪くなかったし、よかったなぁと思ったその時でした。

    真っ暗闇の中で、僕の右足が空を切りました。あるべきところに床がない。落ちる…
    と思うまもなく僕は2m近い高さのセットの裏の床へと転落。ものすごい音がしましたが曲にまぎれてなんとかごまかされました。僕はそのままセットの裏で、激痛で動けないまま転がっていました。

    結果、右足首捻挫。ぱんぱんに腫れ上がって松葉杖なしでは歩くのもままならない状態。楽しみしていた打ち上げにも参加できずに、一人寂しく帰りました。でもこんな軽症で済んでよかったです。

    僕の頭の数センチ脇には、セットの裏の五寸釘が何本も出ていたのでした。
    以上、「女の前だからって粋がると大変な目にあう」という話でした。
    実話だけどあんま怖くないね。

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    私の伯父さんは昔、東京でタクシーの運転手をしていました。。
    伯父さんは体格もよく、心霊現象などは信じていなかったそうです。それは今でも変わっていません。ただ一度だけ怖い思いをしたそうです。以下伯父さん曰く、

    タクシーの仕事で深夜お客さんを乗せて走っていた。そして、降ろした所が青山墓地の近くだった。
    そのまま青山墓地の前を車で走っていると、入り口の前に人が立って手を振っているのに気付きました。「ラッキーだな」と思いつつ近ずくと、
    それは日本髪を結った女の人で、真冬の寒い日にもかかわらず浴衣を着て、下駄を履き、雨も降ってないのに番傘をさしていました。
    そして、「おいで、おいで」という風に手招きをしていました。伯父さんは、その場に合わぬ女の人の異様な雰囲気に顔が真っ青になり、あわてて逃げたそうです。

    今でも「髪型や服の色や模様まではっきり思い出せるけど、顔だけは思い出せない」と言い、
    「当時あの辺は暗かったのに女の人だけクッキリ浮かびあがる様に見えた」とも言っていました。
    私が「幽霊じゃないの?」と聞くと、「どうかなぁ。でも、あの辺には旅館みたいなのは無かったし・・・・」

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    今はもう高架になっちゃったけど、小田急線梅丘駅の近くの踏み切りでの実話。

    昔配達のバイトしてた時、車でそこを通ろうとしたら目の前で遮断機が下りてしまった。
    そこは一度閉まると夕方とかなかなか開かないんだよね。
    2本くらい電車が通り過ぎたあと、ふと見ると向こう側で高校生くらいの女の子がにこにこしながら誰かに手を振ってる。

    その踏み切りは車はよく通るが人はあまり通らないんで、こっち側で待っているのは自転車に乗ったおっさんしかいなかった。
    一瞬俺に手を振ってるのかな、なんてドキッとしてたら、自転車のおっさんが突然遮断機のバーを持ち上げて踏み切りを強行突破した。

    えっと思う間もなく次の瞬間おっさんは自転車ごと急行電車に跳ね飛ばされて目の前から消えてしまった

    目の前では急行電車が止まったままだし、後ろにはかなりの渋滞ができてたんでそこからすぐに抜け出せずに呆然としてたら警察がやってきて目撃者ということで話を聞きたいと言われた。

    見たままを説明して俺は仕事の途中だったんで仕事に戻ったんだけどしばらくブルーだったね。唯一ラッキーだったのはおっさんは向こう側に跳ね飛ばされたんで車から降りても
    死体はほとんど見えなかった。

    電車の車輪の間から何となく変なものは見えてたけど。

    次の日警察から電話がきて警察署に来て欲しいと言われ、しょうがないからバイト休んで北沢警察署行った。
    俺は向こう側で手を振っていたのはおっさんの娘だと思っていたんで、娘さんが可愛そうですね、目の前でお父さんが死んじゃって、って刑事さんに言ったら、刑事さん曰く、おっさんには娘はいないって。

    その女の子も事故後には現場にいなかったらしく、誰だかわからないらしい。
    まあ、状況的におっさんの過失による事故は間違いないんであまり気にしてなさそうだった。最後に協力のお礼として警察から5,000円もらった。

    別にそんなに怖い話じゃないんだけど、その女の子が誰だったんだか今でも不思議。踏み切りに入るときおっさんの横顔が嬉しそうだったから知り合いだと思うんだけどなー。

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