2013年01月

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    あなたがもし未成年であるのなら、二十歳になるまで「紫の鏡」という言葉を覚えていてはならない。

    なぜなら、もし二十歳になった時に「紫の鏡」という言葉を覚えていると、この言葉に込められた呪力によってあなたは死んでしまうからだ。

    昔、ある女の子がイタズラで大切にしていた手鏡を紫色の絵の具で塗りつぶしたことがある。

    ところが、なぜかこの紫色の絵の具はどんなに洗っても落ちることがなかった。

    自分の行為を悔やんだ少女はやがて病気がちになり、ついには衰弱して二十歳の若さで他界してしまう。

    ムラサキノカガミ、ムラサキノカガミと呟きながら・・・

    この時以来、「紫の鏡」は呪われた言葉となった。

    二十歳になるまでにこの言葉を忘れないと、あなたも少女のように衰弱して死んでしまう。

    だが、どうしても忘れる自信がないという人にも一つだけ助かる方法が残されているので安心して欲しい。

    それは「白い水晶」という言葉を覚えていること。

    二十歳になった時に「紫の鏡」という言葉を忘れないでいても、

    「白い水晶」という言葉さえ覚えていれば白水晶の呪力が紫の鏡の呪力を打ち消すために助かると言われている。

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    大多喜ダム(おおたきダム)は千葉県夷隅郡大多喜町、二級河川・夷隅川(いすみがわ)水系沢山川に建設が進められていたダムである。

    千葉県が計画を進めていた県営ダムで、高さ36.5メートルのロックフィルダム。

    夷隅川水系唯一の多目的ダムとして計画され、夷隅川下流の治水と南房総地域への上水道供給を目的とし、さらに房総導水路の調整池としての役割も担う予定であった。

    しかし事業の長期化が進む中で南房総地域の上水道需要が低下。

    その結果下流受益地の自治体が事業からの撤退を表明したため、2008年(平成20年)3月27日に事業中止方針が公表され、地元住民の理解を得られたとして、県は2011年3月4日正式に中止を決定した。

    その後は川幅を広げる「河道改修方式」を行う。中止したダム事業の一つである。

    悲しい目をした女の子の目撃情報がある。

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    403 : あなたのうしろに名無しさんが・・・[sage] : 投稿日:2003/02/16 01:24:00
    「いじわるばあさん」がエグイです。
    現実にあったらかなりヤバイネタとかも結構ある。

    でも憎めないんだよなあ。


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    2年前の正月の夜に霊スポ巡りして都賀病院に行った。

    霊現象は起こらなかったが、正面玄関辺りに靴かスリッパみたいのが揃えて置いてあって、中で首吊り死体でも見つけちゃったらどうしようかと死ぬほどビビった。

    でも一番怖かったのは建物の裏手に回った時。

    ちょうど人間の片足くらいの深い穴が空いてて、暗闇で気付かず太腿までスボッとハマってしまった。

    ところで、都賀病院の登り口の左手にある古い農家みたいなの。あそこには何か謂われはないの?

    空き家だったみたいだし、かなり不気味な感じがしたんだが・・・

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    586 : 奇形 1/6[ウニ] : 投稿日:2003/05/06 15:52:00
    俺にはオカルト道の師匠がいるのだが、やはり彼なりの霊の捉え方が
    あってしばしば「霊とはこういうもの」と講釈をしてくれた。
    師匠曰く、
    ほとんどの霊体は自分が死んでいることをよくわかっていない。
    事故現場などにとどまって未だに助けを求めているやつもいれば、
    生前の生活行動を愚直に繰り返そうとするやつもいる。
    そういうやつは普通の人間が怖がるものはやっぱり怖いのさ。
    ヤクザも怖ければ獰猛な犬も怖い。キチガイも。
    怒鳴ってやるだけで、可哀相なくらいびびるやつもいる。
    問題は恫喝にもびびらないやつ。
    自分が死んでいることを理解しているやつには関わらない方がいい。

    といったことなどをよく言っていたが、これは納得できる話だしよく
    聞く話だ。
    しかし、ある時教えてくれたことは師匠以外の人から聞いたことがなく、
    未だにそれに類する話も聞いたことがない。
    俺の無知のせいかもしれないが、このスレの人たちはどう思うだろうか。


    【【心霊不思議な話】『親指が二本ある幽霊』】の続きを読む

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    おせんころがし殺人事件(おせんころがしさつじんじけん)は、1952年(昭和27年)10月11日に、千葉県小湊町(後の天津小湊町、現鴨川市)にある断崖、通称「おせんころがし」で起こった殺人事件である。

    母子3人が1人の男に強姦され、殺害された。

    また、この事件の同一犯人の起こした合計8人の連続殺人事件の通称でもある。

    この事件の犯人・栗田源蔵(くりた げんぞう、1926年11月3日 - 1959年10月14日)は、秋田県の極貧家庭に生まれた。

    1948年、ヤミ商売のブローカーとして生計を立てていた源蔵は、三角関係のもつれから静岡県において交際女性を2人とも殺害した。

    さらに1951年8月8日、栃木県で子供を寝かしつけようとしていた主婦を強姦しながら絞殺した揚句、死姦した。

    10月10日には千葉県勝浦駅において行商に出たまま行方不明になった夫を探すために偶々同駅に降り立った母子4名を誘い出し、日付が変わり翌日深夜長男と長女を断崖絶壁の

    「おせんころがし」

    にて投げ落とした挙句、主婦を強姦して背中に背負っていた次女ごと投げ落とした。

    被害者達は崖の途中に止まっていたが、犯人はそんな被害者達を石で殴打し殺害した。

    長女だけは軽傷で隠れていたため奇跡的に生き延びる事ができた。

    1952年1月13日、千葉県検見川町(現在の千葉市花見川区)で主婦と叔母が殺され、主婦は死姦された。

    この際指紋が検出され、これにより犯人が割り出され逮捕された。

    これがおせんころがしの心霊スポットの由来になっている。

    女性の幽霊が出るという噂に始まり、確実に心霊写真が撮れてしまう、体調不良になる等の様々な話が囁かれている。

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    トイレにリカちゃん人形が落ちている。

    不審に思い手にとって見ると、足が3本ある。

    驚いて地面に落とすと

    「私リカちゃん。呪われてるの……」と話すではないか。

    怖くなってその場から逃げだすが、リカちゃんの声が耳から離れない。

    頭の中をリカちゃんの声がぐるぐる回りだし、耐えられなくなった人は発狂して自殺してしまう、という。

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    千葉県佐倉市江原台1丁目に位置する刑場跡。千葉の心霊スポットとしても有名。

    国道296号線を臼井から佐倉へ向かう途中、八丁坂を登った左手、供養塔がある公園のような場所。

    佐倉藩が罪人の処刑を行った刑場跡。別名「八町森」。


    処刑場跡と呼ばれる心霊スポット。

    旧佐倉藩の処刑場で人体解剖も行われていたらしい。

    小さな敷地に供養塔や首洗いの井戸があったらしい。

    供養塔に触れると祟りで何か悪い事が起こるとも言われている。

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    彼女とドライブに出かけたが、日が落ちて道に迷ってしまう。

    彼女が「そこを右に曲がって」と言うので曲がったところ、目の前は崖。

    「危ないじゃないか」と言おうと目をやると彼女は寝ている。

    その直後カーナビが言う。

    「5km以上道なりです」

    日が落ち、山道に入ってもカーナビは言う。

    「5km以上道なりです」

    やがて前が見えないくらいの大雨となるが、それでもカーナビは言う。

    「5km以上道なりです」

    突然の雷鳴に驚きブレーキを踏んだ運転手が嫌な気を感じて下車したが何も無く再び車に乗る。

    トンネルを抜けるといきなり女性が落ちてくる。

    びっくりして急ブレーキをかけ慌てて車を降りるが誰もいない。

    ふと車の先に目をやるとそこは崖。急ブレーキをかけていなければ崖に落ちて死んでいたであろう。

    彼女は眠ったまま、男のような低い声で言った。「死ねばよかったのに…」。

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    奇数人で写真を撮ると真ん中の人が透ける。

    不幸になる、早死にする、とされる。

    その原因として下記の解釈がなされる場合がある。

    カメラが日本に伝来した頃に語られた「撮影されると魂が吸い取られる」といった噂が現代にまで継承されている。

    写真を撮る際には年長者を真ん中に立たせるケースが多く、確率的に「対象者が先に死ぬ」場合が多かった。

    旧式のカメラは、ピントが撮影範囲の中心に近づくほど合いにくく、中心がぼやけた事例や、昔の銀板写真は左右が反転して写るため、

    出来上がり時に着物が右前に写るようにと撮影時には「死装束」である左前に着たケースなどから、写真撮影は元々日本では不吉なものと捉えられていたとの説もある。

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