心霊-都市伝説ナビ-

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    2013年01月

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    おせんころがし殺人事件(おせんころがしさつじんじけん)は、1952年(昭和27年)10月11日に、千葉県小湊町(後の天津小湊町、現鴨川市)にある断崖、通称「おせんころがし」で起こった殺人事件である。

    母子3人が1人の男に強姦され、殺害された。

    また、この事件の同一犯人の起こした合計8人の連続殺人事件の通称でもある。

    この事件の犯人・栗田源蔵(くりた げんぞう、1926年11月3日 - 1959年10月14日)は、秋田県の極貧家庭に生まれた。

    1948年、ヤミ商売のブローカーとして生計を立てていた源蔵は、三角関係のもつれから静岡県において交際女性を2人とも殺害した。

    さらに1951年8月8日、栃木県で子供を寝かしつけようとしていた主婦を強姦しながら絞殺した揚句、死姦した。

    10月10日には千葉県勝浦駅において行商に出たまま行方不明になった夫を探すために偶々同駅に降り立った母子4名を誘い出し、日付が変わり翌日深夜長男と長女を断崖絶壁の

    「おせんころがし」

    にて投げ落とした挙句、主婦を強姦して背中に背負っていた次女ごと投げ落とした。

    被害者達は崖の途中に止まっていたが、犯人はそんな被害者達を石で殴打し殺害した。

    長女だけは軽傷で隠れていたため奇跡的に生き延びる事ができた。

    1952年1月13日、千葉県検見川町(現在の千葉市花見川区)で主婦と叔母が殺され、主婦は死姦された。

    この際指紋が検出され、これにより犯人が割り出され逮捕された。

    これがおせんころがしの心霊スポットの由来になっている。

    女性の幽霊が出るという噂に始まり、確実に心霊写真が撮れてしまう、体調不良になる等の様々な話が囁かれている。

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    トイレにリカちゃん人形が落ちている。

    不審に思い手にとって見ると、足が3本ある。

    驚いて地面に落とすと

    「私リカちゃん。呪われてるの……」と話すではないか。

    怖くなってその場から逃げだすが、リカちゃんの声が耳から離れない。

    頭の中をリカちゃんの声がぐるぐる回りだし、耐えられなくなった人は発狂して自殺してしまう、という。

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    千葉県佐倉市江原台1丁目に位置する刑場跡。千葉の心霊スポットとしても有名。

    国道296号線を臼井から佐倉へ向かう途中、八丁坂を登った左手、供養塔がある公園のような場所。

    佐倉藩が罪人の処刑を行った刑場跡。別名「八町森」。


    処刑場跡と呼ばれる心霊スポット。

    旧佐倉藩の処刑場で人体解剖も行われていたらしい。

    小さな敷地に供養塔や首洗いの井戸があったらしい。

    供養塔に触れると祟りで何か悪い事が起こるとも言われている。

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    彼女とドライブに出かけたが、日が落ちて道に迷ってしまう。

    彼女が「そこを右に曲がって」と言うので曲がったところ、目の前は崖。

    「危ないじゃないか」と言おうと目をやると彼女は寝ている。

    その直後カーナビが言う。

    「5km以上道なりです」

    日が落ち、山道に入ってもカーナビは言う。

    「5km以上道なりです」

    やがて前が見えないくらいの大雨となるが、それでもカーナビは言う。

    「5km以上道なりです」

    突然の雷鳴に驚きブレーキを踏んだ運転手が嫌な気を感じて下車したが何も無く再び車に乗る。

    トンネルを抜けるといきなり女性が落ちてくる。

    びっくりして急ブレーキをかけ慌てて車を降りるが誰もいない。

    ふと車の先に目をやるとそこは崖。急ブレーキをかけていなければ崖に落ちて死んでいたであろう。

    彼女は眠ったまま、男のような低い声で言った。「死ねばよかったのに…」。

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    奇数人で写真を撮ると真ん中の人が透ける。

    不幸になる、早死にする、とされる。

    その原因として下記の解釈がなされる場合がある。

    カメラが日本に伝来した頃に語られた「撮影されると魂が吸い取られる」といった噂が現代にまで継承されている。

    写真を撮る際には年長者を真ん中に立たせるケースが多く、確率的に「対象者が先に死ぬ」場合が多かった。

    旧式のカメラは、ピントが撮影範囲の中心に近づくほど合いにくく、中心がぼやけた事例や、昔の銀板写真は左右が反転して写るため、

    出来上がり時に着物が右前に写るようにと撮影時には「死装束」である左前に着たケースなどから、写真撮影は元々日本では不吉なものと捉えられていたとの説もある。

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