2013年05月

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    とある私立小学校での話。

    その学校では警備員を数人ほど配備していた。ある日のことである、突然警備員の一人が卒倒し意識を失うという事件が起こった。

    すぐ様、救急車が呼ばれて倒れた警備員さんは病院へと運ばれて行ったのだが、警備員さんの様子が普通ではなかったそうだ。

    その現場を目撃していた児童らの話によると意識を取り戻した警備員さんは「宇宙人に脳を乗っ取られた!!」
    そう叫び暴れだしたというのだ。

    配属場所を変えられたのか辞めたのか?結局その事件以降、小学校でその警備員さんを見かけることはなくなった。

    宇宙人による意識の乗っ取りがあったのかは分からないが、警備員さんは心に強いストレスを抱えていたことは確かなようで、そのストレスとは大阪で発生した児童無差別殺傷事件である。

    事件の余波を受けて、各私立小学校では警備体制の見直し、自治体では警備員の配置に補助金を出す等をして自衛の強化に努めていた。

    最も恐れたのが事件に触発された模倣犯の存在で、インパクトの強い事件だった故に、死刑を望んで同様の手口で児童を狙う模倣犯罪は十分に考えられ得た。警備する側にとって、当時の職務はいつも以上に張りつめたものとなっていたことは想像に難くない。

    宇宙人に脳を乗っ取られたという警備員さんが倒れる直前には、警察から小学校周辺での不審者が目撃されたという情報が伝えられていた。倒れた原因は過度のプレッシャーに耐えきれなかったものとも考えられる。

    事件は児童だけではなく小学校の教育現場に携わる大人達の精神にも暗い影を落としたようで、どれだけインパクトの強い事件であったかが分かる話である。

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    236 : あなたのうしろに名無しさんが・・・[] 投稿日:04/05/15 19:38 ID:UNUVBrb5 [1/2回]
    中学生の頃、病気で父が死んだ。 
    葬式からしばらくは、死んだことを自分で実感できずに、涙も出ず、 
    私は薄情な人間なんだとぼんやり思いながら過ごしていた。 
    その頃の私は寝てばかりだった。あんなに寝ることはないっていうくらい一日の 
    大半を寝て過ごした。今思えば無意識の内に寝ることに頼っていたのかもしれない。 
    あと、多分なんとなくだけど生命力が低下していた気がする。何もやる気が起きなかった。 
    そしてある日の夕方、父の部屋でテレビをつけっぱなしで寝ていたら、 
    「○○(私の名前)!」と呼ぶ声が聞こえた。「お父さんだ!!」と思ってガバッと飛び起きたら、 
    それはテレビのCMで、あるタレントがこちらを向いて笑いながら、「○○!がんばれ!」と 
    言っていた。偶然にも同じ名前だっただけだった。 
    でも後にも先にもそのCMを見たことはないし、私が聞いたの明らかに父の声だった。 
    そこでふと我に返り、父を亡くしたことがリアルに私の体を駆け巡り、 
    父のいなくなった父の部屋でワンワン泣いた。 
    あのCMは偶然流れただけかもしれないが、私の中ではとてもとても大きなものだった。 
    (続きます)



    237 : 236[] 投稿日:04/05/15 19:45 ID:UNUVBrb5 [2/2回]
    それから、度々父が夢に出てくるようになった。 
    でも不思議なことに、はじめの頃は顔もしっかり見えていたんだけど、 
    段々と後ろ姿だけになり、声だけになり、最後には“気配”だけになっていた。 
    “気配”だけになったのがちょうど大学の2年くらい。 
    “気配”だけでも私にはその存在はリアルに感じられ、父の夢を見た朝は 
    いつも涙を流しながら目が覚めた。 
    父が“気配”になった頃、私には彼氏ができ、そして同棲をはじめたのだった。 
    それまでは慣れない場所でひとり暮らしの私を心配し、遠くから見に来てくれていたのかもしれない。 
    でも私を大切にしてくれる人が現れたから、安心して最近は現れないのかもしれないなあと思う。 
    同棲をし始めてから、父はぱったり夢に現れなくなった。 

    でも、先日祖父が1週間くらい昏睡状態が続き、「もうダメだろう」と言われて、 
    誰もがダメだと思っていた。私は、実家に帰って一晩中父の仏壇に祈りつづけた。 
    「まだ、おじいちゃん連れて行かないで。お父さんいなくなっておじいちゃんも 
    いなくなったらみんな悲しがる。お母さんのために、私のためにもまだお願いだから 
    連れて行かないで」と涙を流しながら手を合わせ続けた次の日、おじいちゃんは 
    奇跡的に目覚めた。そして危ないと言われながら半年経った今もなんとか生きている。 
    きっと私はあれは父のやさしさだと思っている。



    238 : あなたのうしろに名無しさんが・・・[sage] 投稿日:04/05/15 21:23 ID:jEzERziN [1/1回]
    >>236/237 

    今宵も胸がジーンとなるお話を伺うことが出来ました。 

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    札幌にある有名な歓楽街、す○○の。

    飲み屋から風俗までたくさんの店が乱立しているが、非合法的な店が多いのも事実。

    法外な掛け金の裏カジノ。知り合いがハマったらしく、そこで作った借金を返すために、裏カジノで働いているという…

    一見、普通のマンションの一室だが中に入ると別世界らしい…

    あとは売春飲み屋。

    今でもあるんだなと驚くが、そこはスナックの集合体(平屋の)なんですが中の店はすごく狭くて、テレビ見ながら女の子がお茶を飲んでるだけ。

    男が近くに来ると、寄ってってと言うだけ。すぐ隣にホテルがあり、そこと提携しながら売春を未だに続けています。なかなか繁盛してますよ…
    その売春飲み屋は、いくつかの店舗に別れており、それぞれにママがいます。

    その店に入り、気に入った女の子がいればママに言います。するとママが女の子に話をして契約成立といいわけです。

    そのとき、ママが客の男から金を受け取るのではなく、女の子がママに5000円渡してました。今考えたら紹介料的な名目で女の子は払ってたんだと思います。そ
    れから女の子と横のホテルに入り、色々と…

    恐らくホテル内で男から金をもらうんでしょう。ちなみに料金は30分で10000円だそうです。

    近くに交番があるのに警察も何をやってんだか…
    金でも渡して黙認してるって噂も…

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    某海岸付近の海中での話。

    そこは正規の海水浴場ではないが割と水深が浅い。そして近くの崖際には光の加減で海が青から深い緑に見える小さな洞窟もありそこで海遊びをする人は多い。

    周りは緑に囲まれてレジャーにもって来いの場所ではあるが、気味の悪いことに崖際の海中に犬や猫とおぼしき獣骨が多く沈んでいる。獣骨は神秘的な海の色と相まって海底を不気味な異世界に変貌させている。

    この骨の由来について、近隣で誰か虐待して殺し捨てているとか、飲食店の秘密食材として使用された残骸だとか噂されていたが真相は違っていた。

    ・・・・・ある日、その海岸に遊びに来ていた若者グループが波間を漂う段ボール箱を発見する。きれいに口が閉じられており、箱の中にはなにが?という好奇心に駆られて陸まで持ち帰り中身を確認することにした。

    そこに入っていたのは子猫遺体で、猫の周りには花と生前使用していたであろう猫用の玩具が添えられていた。そして、遺体の脇に1枚の紙を発見する。罪悪感に駆られながらも読んでみると、飼い主家族から子猫に宛てた感謝と別れの意が述べられていた。

    どうやら箱は川から流れついたものらしく、洞窟のある崖付近には夏になると灯篭流しの御供えもののオレンジ等が吹き溜まっており、地形の問題で川からの漂流物が流れ着く。海中に沈む犬猫の骨も供養目的で人の生活圏から流されたもので、一部はペット霊園からの漂着物とも云われる。火葬したり土葬したりしないのは、遺体を海に流すことが成仏に繋がるという謂れがこの地域には伝わっているからである。

    遠く大海原を旅するはずであったペットの遺骸は、場合によっては海岸近辺で沈むことがあるらしい。
    霊感のある方の話では自らの意志で人が訪れる海中に沈んでいるとも云う。人が恋しいとのことだ。

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    企業の研究所や工場は地価や水の利便等から地方に置かれることが多い。

    自然が色濃く残り娯楽に欠ける地方では、勤め先と自宅を往復する日々となり易く、何をしたら良いかわからないので休日も家に籠りがちな傾向に・・・

    某地方都市も一昔前は陸の孤島であった。
    娯楽施設が少なく都会へのアクセスも悪い。外部から越して来た者はその都市に閉塞感似た雰囲気を感じていた。環境に慣れない者にとっては逃げ場無い孤島そのものであり、人口当たりの自殺率は全国的にトップクラスであった。

    行政はこの現状を鑑みて労働者のガス抜きのため作られたのが、不自然にも住宅地にある歓楽街である。風俗店は無いもの居酒屋やキャバクラに近い飲み屋が軒を連ねているのだが、それがある区画は病院や教育施設が集う普通の住宅街である。

    お姉さんが付くお店が多くあり、どこも認可を取っていない(降りない)。それは実質キャバクラなのだが認可を取っていないにも関わらず、店の前にお姉さんを立たせて堂々と営業している。

    一般的な感覚ではまずいことのように思えるが、自殺を防止するという大義名分により黙認され続けて来た。事実歓楽街ができてからは自殺者数が減少したのだ。

    しかし、近年歓楽街に危機が訪れている。一昔前まではある種閉鎖的であった地方都市であるが、近年では交通網の発達により都会へのアクセスが良くなり、ガス抜きが容易にできるようなった。そうなると歓楽街は自殺防止の役目を失い、一転して叩かれる対象となってしまった。

    ほとんど野放しにしていた警察は態度を一転して、毎週のように検問を実施して、無認可のキャバクラへのガサ入れを強化することで歓楽街の潰しに掛った。

    店の対策としては入り口に施錠をして、警察が来ると対面テーブルに戻して女の子の配置を変えるようにしている。女の子がお客さんの横に付くのは許可なしではアウトだが、テーブルを挟んでの接客はセーフなので、わざわざ入り口にカギ掛けてガサ入れ対策を行っている。また送迎バスを出したりして、なんとか客足が遠のくのを抑えようとしている。

    その歓楽街、交通網の発達や警察の取り締まり強化が響いて最近では寂れて来ており、無くなるのは時間の問題と云われている。

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    128 : あなたのうしろに名無しさんが・・・[] 投稿日:04/04/10 02:08 ID:Rdtn+qeM [1/1回]
    心霊というよりは、第六感というか虫の知らせというか・・・という話ですが。 
    長くなりますので、スルーして下さってOKです。 

    祖父が自宅で突然亡くなった(といっても持病の発作が起きたんですが)時の 
    ことです。 
    私の母親は、家系的に第六感が強いようで一時期、母の祖母から頻繁に電話が 
    かかってくる時期がありました。遠くに住む祖母の具合でも悪いのかと子供心に 
    心配していましたが、実は親戚が夢枕に立つという内容で、つまりは祖母は 
    亡くなる人が分かる人なんですね。そういう祖母の血を引いている母ですが・・・。 

    私の両親は学校教諭なんですが学外での活動(?)も多く、夏休みでも 
    両親が2人揃って予定がない日は3~4日という忙しさです。 
    当時、私は2ヶ月半入院してまして、その日は退院して半月くらいでした。 
    (入院するまではとても忙しい仕事をしていたので、休みは週1、朝7時過ぎに 
    家を出て帰宅は22時を過ぎるのがほとんどでした。) 
    弟は大学院生で、夕飯時に家にいることはまずありませんでした。 

    別に家族仲がすさまじく悪かった訳ではないですが、家族そろって夕食というのは 
    皆無でした。何年も前から。それぞれがかなり忙しいので予定が合いづらかったのも 
    あります。 

    前置きが長くなってしまいました。続きます。



    130 : あなたのうしろに名無しさんが・・・[] 投稿日:04/04/10 02:25 ID:ebxnyLam [1/1回]
    続きです。 

    その日のお昼のことです。食が本当に細くなってしまった祖父に、祖母は 
    毎日色々と食べやすいものを作ってあげていました。 
    暑くて暇でダラダラしていた私に、母が言いました。 
    「おじいちゃんのとこ行きなさい」 
    いつもは何か頼まれたりしても「面倒」「忙しい」と相手にしないこともある 
    私でした。(母、すまん)その時も初めは「え~?」と嫌な顔をしましたが、 
    「おじいちゃんあんまりごはん食べないの。いいから行きなさい。早く!」 
    別に怒っていたわけではないですが、今日は食い下がる。 
    私も祖父の体のこと自体は気にしていましたし、ちょうどご飯時だったので 
    祖父の部屋へ行きました。 
    私「おじーちゃん。ごはん食べないとダメだよ?」 
    祖父「んー。でも食いたくねぇんだよー。」 
    私「じーちゃん。今はお風呂もトイレも自分で行けるけど、口から食べ物入れないと 
    それもできなくなっちゃうよ?トイレの世話されるの嫌でしょ?」 
    (当時、老人施設の職員だったので管から栄養を採る方と、ミキサー食でも口から 
    採る方の体力の差を目の当たりにしておりました) 
    祖父「・・・・・」(プライドが動いたようだ。とてもプライドの高い人でした) 
    祖父はすい臓(だったかな?)癌で、内臓の形が変わってしまうほどの末期でした。 
    毎日「背中が痛い」と言ってました。 
    しぶしぶと、ヨーグルトを食べ始めた祖父。骨の浮いてしまった背中をさすりながら 
    ヨーグルトを食べるのをずっと見てました。 
    私「おじいちゃん、また私の車でドライブ行こうね。車なら暑くないよ。」 
    祖父「ん・・。背中が痛いなぁ。」 

    中途半端になってしまいそうなので、もう一度だけ続きます。長くてごめんなさい。



    131 : あなたのうしろに名無しさんが・・・[sage] 投稿日:04/04/10 02:38 ID:ZRujIAQZ [1/1回]
    夕方、部屋でゴロゴロしてました。 
    「あ~今日は誰か暇じゃないかなぁ」なんて考えながら。 

    祖母「ちょっと!誰か来て!おじいさんが!!」 
    尋常でない声。私も両親も、お風呂場へ飛んで行きました。 
    ちょっとパニックな父、もっとパニックな祖母。母の事は覚えてないのですが、 
    多分私同様冷静になってたはずです。仕事柄、容態が急変する場面には何度か 
    遭遇していたので、父に救急車を呼んでもらい、母にはお金の用意をしてもらい、 
    祖父を支えました。(湯船に浸かった状態だったのですが、どこか打ったりしたら 
    かわいそうだったので・・) 

    結局、そのまま祖父は旅立ってしまいました。 
    実はその日の朝、遠方に住む母方の祖母から電話があったことを後日聞きました。 
    (滅多に電話はかかってこないです。) 
    普段、外にいる時に携帯にかけても出ない弟がすぐ電話を取り、家のすぐ近くに 
    居たこと。(学校が遠かったので、これは本当に意外でした) 

    言葉足らずで分かりにくくて申し訳ないですが、あの時母が強く私に「おじいちゃんの 
    ところに行け」と言わなければ私は、きっと最後まで祖父と言葉を交わすことなく 
    見送ったであろうこと。 
    それでもあれこれしてあげたかった・・・と思うことはたくさんありますが、 
    あの「虫の知らせ」で大好きな祖父の背中をさすってやれたのが救いです。 

    長文に最後までお付き合い下さってありがとう。



    132 : あなたのうしろに名無しさんが・・・[] 投稿日:04/04/10 02:42 ID:gA0NuAHw [2/2回]
    >>131 
    虫の知らせ、いいもんだねぇ 
    今の気持ちを大事にしたいもんですね



    133 : あなたのうしろに名無しさんが・・・[sage] 投稿日:04/04/10 02:54 ID:wQJeh6Xl [1/1回]
    >>128-130-131です。 
    こんな夜中に読んで下さって嬉しいです。 
    実は、弟を待って後から病院に駆けつけたのですが、途中母から 
    「多分だけどね、おじいちゃん、今度はだめだと思うの」 
    と電話がありました。 
    これは当日の朝、祖母から突然電話をもらってたというのもあるでしょうが、 
    (しかも、「なんだか胸騒ぎがするのよねぇ」みたいな内容で) 
    あー、かあちゃんがこう言うんじゃ希望持てないかもなぁと思ったです。 
    虫の知らせ、思い過ごしでもいいから信じて(?)行動しよう、と思ってます。 
    いや、思い過ごしに越したことないな。 

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    某アーティストが若きころの体験。

    その方は時に過激なことをやってのける型破りな性格故に、トラブルを起こすことが多々あった。

    作品展への作品を作るため、彼はアイデアを練っていた。そして考えた挙句、日本人の食への警鐘を鳴らすため牛の頭や内臓を展示することにした。

    普段食べている肉は動物の死体であり、生きているものを殺して口にしていること等を考えて欲しかったのだ。

    作品は出来上がったが、当然生の肉なので数日たつと悪臭を放ち、衛生上の理由から強制撤去されてしまった。彼は展示場でもトラブルを起こしてしまったが、この作品を作るためにもある事件を起こしてしまう・・・・・・

    彼は死体そのものを作品にしたかったので、何の考えなしに牛の死体を手に入れるため、アポなしで屠殺場に行った。そして「作品を作るための材料を集めに来ました。」とだけ職員に告げ、勝手に廃棄する予定の内臓などを袋に詰めた。

    そうこうしていると事務所から職員がやってきて
    「なにやってんだ!!」
    彼は事務所に呼び出され、勝手に拾っていたこと怒られた。彼は職員に謝罪し、戦利品は没収となった。

    しかし、どうせ廃棄するモノなのだから持って帰っても良いだろう・・・そう考えていた彼はめげずに帰るふりをして、またこっそり牛の耳や目玉などを袋に詰めた。

    彼が拾った臓器や肉片は洗っていないので、血や粘液がべっとりと付着している。作品にはこういう生々しいものが欲しかったのだ

    そしてこそこそと帰ろうとしたとき、「ブルーン」とエンジン音がした。

    出てきたのは20台ばかりの原チャリ。そしてあっという間に囲まれてしまった。どうやら屠殺場の職員らしく、非常に怒っている。

    「早く出せ」そして彼から牛の耳などが入った袋を取り上げた。

    「血のついたものを持ち出すとはどういうことだ!!」彼はなにが彼らを怒らせたのか理解できなかったが、あまりの剣幕に身に危険を感じ、素直に指示に従った。

    後で分かったことだが、日本の穢れの思想から血のついたままの肉を世に出すことは不浄なことであり、恥であると考えているのだという。彼のした行為は彼らからすれば恥部を世間に晒す行為だったのだ。

    仕方なく彼は、きれいに洗われ血が落ちた牛の首や臓物を業者づてで手に入れたのだという。

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    86 : 1コピペっす ◆ozOtJW9BFA [] 投稿日:03/06/04 21:45
    その頃色気づいてきていた私は用も無いのに
    広島(地元)の繁華街を休みの度にうろつくという習慣がありました。
     CD,洋服、時計、女の子・・・
    見るものが全部自分を祝福しているように思っていた頃の事です。
    その日も私は金も無いのに靴屋を回って
    CONVERSの新作をチェックしていました。
     次の店に行こうと思い横断歩道をわたろうと信号待ちをしていると、
     向かい側にいる女の人と目が合いました。
    その人は私と目が合うとにっこりと微笑むのです。
    きれいな人でした。
    が、見覚えがありません。
     近所に住んでる人かな、と思って会釈をして、その人とすれ違いました。
    そして次の週末。新しいCDを見に行こうと思って同じところを通ると
     またその人がいます。
    そして私と目が合うとにっこりと微笑むのです。


    87 : 1コピペっす ◆ozOtJW9BFA [] 投稿日:03/06/04 21:45
    それは本当にキレイな笑顔でした。しかし私はその人が誰か分かりません。
    それでも私は嬉しくて、少し照れながら会釈をして通り過ぎました。
    それから2ヶ月余り、同じ場所で同じような事がありました。
     私はこんな若造に微笑みかけてくれる美しい人に
     ほとんど恋に近い感情を抱くようになりました。
    それでついに、次にあった時には話し掛けてみようと決心しました。
     意を決して週末の午前に取って置きの服を着ていつもの場所に向かいました。
    その日は少し冷たい風の吹く良く晴れた5月の日でした。
     足取りも軽くその場所に向かうとその人はいませんでした。
    がっかりした私はそれでも会えるかも、と思って
    辺りで時間をつぶしたりして待ち続けました。
    そして夕方になってもうあきらめようかと思った時、
     夕焼けの空に赤く照らされて、その人はそこに立っていました。


    89 : 1コピペっす ◆ozOtJW9BFA [] 投稿日:03/06/04 21:47
    すると彼女は少し悲しそうな顔をして、それでも笑顔のまま、ゆっくりと歩き出し、
    そして通り過ぎていきました。
     私は信号が赤になってタクシーにクラクションを鳴らされるまで
    そこでボーッとしていました。
    その時にはもう彼女の姿はありませんでした。
    それ以来その人の姿を見る事はありませんでした。
    あの時、何か返事を返せていたらもっと違う結末があったのでしょうか?
    私は今まですっかりこんな事があったのを忘れていました。
    きっと悲しい事は忘れてしまった方が楽だからなのでしょう。

     私がずっと前に恋した人・・・・・・・

     あなたは誰だったのですか?

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    28 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日: 2001/02/13(火) 18:14

    これは母から聞いた話なんですが
    結婚前勤めていた会計事務所で、母は窓に面した机で仕事していました。
     目の前を毎朝御近所のおじいさんが通り、お互い挨拶をかわしていました。
    ある日は果物や家でとれた野菜など差し入れてくれる日もあったとか。
     母はそのおじいさんと仲良しだったみたいです。
    おじいさんが来るとき、さくさくと雪を踏む音が聞こえてくるので
     いつも窓を開けて挨拶していたそうです。
    でもある日おじいさんは顔を出しませんでした。
     家族の人に聞くと、「山に行ったっきり帰ってこない」と。
     捜索願いも出され、母も事務所の人たちもとても心配していたそうです。

     二日後の朝、いつものようにさくさくと音がするので
     おじいさんが戻って来たんだと思い母は窓を開けて顔を出しました。
     事務所の人たちも窓のところに寄ってきました。
    でも誰もいない。足音は目の前で止まりました。
     空耳かなと思って窓を閉めようとした時、また足音がして
     それはだんだん遠ざかって行ったそうです。
    そのあと、電話がなりました。
    おじいさんの家族から「ついさっき、谷底で死んでいるのが見つかった」と。
     最後に会いに来てくれたんだねってみんなで話したのよ、と言っていました。
    なんだか聞いててちょっと切なくなりました。

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    これは僕の父が体験(正確に言えば間接的)に体験したことです。

    35年前、僕の父は当時高校生で、恥ずかしい話不登校でした。家を出でから50メートルも離れない海岸にある海小屋で、弁当を食べ雑誌を読んで時間を潰してい
    ました。

    ある日のこと、いつものように父は小屋に来て飯を食べて浜辺に座り、海を見つめていました。

    するとあることに気が付きました。何日もの間、同じ船が沖に停泊しているのです。初めのうちは漁の船だと思っていましたが、それが何日も続くと不審に感じ
    られました。

    その後、その海岸に来ていた人が行方不明になりました。
    最近になってテレビ番組で北朝鮮の拉致事件の特集をやっているのを家族で見ました。するとテレビを見ていた父の表情が突然変わりました。

    そして『これ、俺がよく入ってた小屋じゃねえか…』と呟きました。

    テレビでは、拉致被害者を夜間に人目を憚り小船で運ぶ為、一時監禁されていたと見られる小屋が映っていました。

    この話は父の地元では結構有名だったみたいです。流
    石に北の国が拉致しているとは誰も想像しなかったみたいです。海外に人身売買
    されたとか、他国に密航したとか言われていたそうです。

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