2017年02月

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    AMEyukitourou_TP_V

    64 : 粉[] 投稿日:2012/03/24(土) 04:01:31.71 ID:amZEZyFn0 [6/10回(PC)]
    山ン本五郎左衛門 

    百物語の最後には必ず山ン本五郎左衛門の話をしなくてはならないとされる。 
    裃を着た40歳ほどの武士の姿をしているとされる。 
    各地の怪談には、もののけと対峙して一歩も引かなかったときに 
    最後に山ン本五郎左衛門が出てきて 
    その勇気をほめるという話がいくつか見受けられるが、 
    その肝心の山ン本五郎左衛門は 
    どういった物の怪なのか、語られることはない。 

    百物語の作法の一つには 
    百話目の山ン本五郎左衛門の話をすることをためらい 
    九十九話で終わるというものもある。 
    この時、用意されていた山ン本五郎左衛門の話が 
    本来の山ン本五郎左衛門の話で、 
    一体どういった妖怪であるのか語られているという話あり、 
    語り手が最後までためらうのが 
    常だったために百話とされたというのである。

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    N845_yugumo_TP_V

    63 : 粉[] 投稿日:2012/03/24(土) 03:45:46.55 ID:amZEZyFn0 [5/10回(PC)]
    式喰いの面 

    陰陽道の流れをくむいざなぎ流の信仰がある高知県物部地方。 
    そこの家には代々伝わる式喰いの面があるといわれている。 
    この面を見るのは、家長となるものだけ、それも一生に二回だけだという。 
    つまり家長を引き継ぐときだけに屋根裏にある面と対面するだけだという。 
    他のものがうかつに見たりすると、禍がふりかかるといわれている。 
     当主も、そのその面と対面するときは、二週間ほど前から肉類を絶ち、 
    体を清めて正装をしてまみえなくてはならないとされる。 
     仮に家が途絶えた時などは、太夫と呼ばれるいざなぎりゅうの術者が、 
    その面を人目につかぬようして、川に流して処分するという。この処分され、 
    流れていく面も、うっかりとみてしまうと 
    見たものに禍がふりかかるといわれている。 

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    ELjyougasima140818383_TP_V

    62 : 粉[] 投稿日:2012/03/24(土) 03:27:38.85 ID:amZEZyFn0 [4/10回(PC)]
    ピトケアン諸島少女性的暴行事件 

     長年、閉鎖環境に置いておかれたピトケアン島は、外の世界からも忘れられた存在であった。 
    1999年、ふたたび世間の耳目を集めることとなる。 
    この島に研修に来ていたイギリスの女性警察官が、この島の大部分の成人男性が、 
    島の14歳以下の女性と性交渉をもっているという事実を告げられたのだ。 
    その後、捜査の結果、事実が明らかになり、大部分の成人男性の島民が逮捕されることとなる。 

     ただしこれには島独自の風習も考えなくてはならない。 
    ピトケアン諸島では、12歳を過ぎたら結婚できる資格があると考えられおり、 
    大半の女性が12歳から15歳の間に最初の出産を経験していた。 
    このため12歳の少女との性行為は倫理的にも問題ないと考えられていたという主張である。 

    島の成人女性達も、この事件対する会議を開き、島の男性達を弁護すると決定した。 
    彼女たちによれば 
    「少女に性行為を要求することは1790年の島への入植以来のポリネシア文化の伝統と認めるべきだ」 
    というものである。 

    ただ、この会議についても女性全員が参加しているものではないという点や、 
    成人男性のほとんどが収監されてしまうと島の経済がたちゆかなくなるという事情が 
    加味されたのではないかと言う指摘も一部ある。 

    最終的に裁判では6人が有罪判決を受けることになり、この事件によって 
    加害者とされる側も、被害者とされる側もひどく傷ついたと言われている。 

    その後、ピトケアン島では長らく興味本位のメディアが入ってくることを拒んでいたが、 
    近年日本のテレビ局がバウンティ号の取材で島に入り、現在の様子を放送した。 
    ただし少女性的暴行事件については一切ふれることはなかった。

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    TSU86_sekaigaowaru_TP_V

    61 : 粉[] 投稿日:2012/03/24(土) 03:22:20.38 ID:amZEZyFn0 [3/10回(PC)]
    ピトケアン島 

    南太平洋上に浮かぶイギリスの海外領土、ピトケアン諸島。 
    この島の周囲300kmには、他に人の住む島は無い。 
    この絶海の孤島に人が住み着くようになったのは、 
    バウンティ号の反乱事件である。1789年、 
    トンガ沖のバウンティ号で反乱を起こした乗組員たちは、 
    船を掌握すると一旦タヒチに戻った。しかし、その後本国の 
    執行官に逮捕されることを恐れ、首謀者のクリスチャンと 
    8人の反乱者はタヒチ島の現地人(男6人、女11人、赤子1人)を乗せて再び、 
    航海に出た。そして地図にない島、ピトケアン島を発見し、 
    そこを永住の地として船を解体して生活を開始する。 
     1808年1月にアメリカ船トパーズ号が、ピトケアン島にやってきた時には、 
    水夫のジョン・アダムスと子供二十数名、ポリネシア人女性10名が 
    ピトケアン島に生活しているだけであり、 
    残りの反乱者達は既に、病気、自殺、事故、喧嘩などにより死亡していた。 
     その後、島はアメリカ生まれのジョシュア・ヒルという 
    詐欺師によって支配され独裁政治が行われることになる。 
    1832年イギリス政府に派遣されたと嘘をついたヒルは、 
    逆らう島民達を投獄し、むち打ちの刑を課し島を支配したという。 
    その後1838年に、島民の訴えで事情を知った 
    イギリス海軍がヒルを追放するまで、この支配が続いた。

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    60 : 粉[] 投稿日:2012/03/24(土) 02:38:43.12 ID:amZEZyFn0 [2/10回(PC)]
    頭蓋穿孔 

    トレパネーション。頭に穴をあけて脳を解放することで血流量を増やし、 
    脳を活発化させて、日々の倦怠感から解放し、多幸感を得ようという医学界では認められていない施術。 
    太古から行われていた外科施術の一つと言われている。 
    正規の医師の管理下によらず、自らドリルを手に頭頂部に穴をあける人たちもいる。 
    医学的には全くの根拠が無いと否定されているが、 
    長らくうつ病に苦しんだ末、トレパネーションによって活動的で幸福な人生を手に入れたと主張する人たちは、 
    うつ病の解決策の一つだとして、トレパネーションを推進しようし、医学界が積極的に取り組まないのは、 
    巨大な抗鬱剤市場をもつ薬品業界の陰謀であると主値している。 
    そもそも、近代トレパネーションの発端は、 
    1965年にオランダで発生したプロボという社会変革活動と密接な関係がある。 
    アーチストやアナーキストや学生運動家などを含んだプロボタリアート(プロボ活動に参加する人)たちは、 
    世間にその主張を訴える行動をプロボケーションという手法を取った。 
    そのプロボケーションとは言い換えれば「世間を挑発すること」であり、 
    プロボタリアートの唯一の武器として機能し、一時は地方議会の議席を得るまでになっていた。 
    そしてプロボケーションの手法の一つとして、ドクター・フヘスが、 
    直接的に頭蓋骨に穴をあけるトレパネーションを唱えた。 
    これを第三の目運動という。当時、彼らプロボタリアートは、 
    LEDなどにも積極的に取り組み「大脳の活性化」という目標をたてており、 
    このトレパネーション、第三の目運動が目的と合致するとされた。 
    またアフリカには石器で頭頂部を切り開くような、 
    伝統的なトレパネーションが未だ残っている。

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    59 : 粉[] 投稿日:2012/03/24(土) 02:36:42.93 ID:amZEZyFn0 [1/10回(PC)]
    ヒバゴン 
    1970年代に広島で目撃されたという大型類人猿型の未確認生物。 
    複数の目撃情報があり、 
    人間によく似ているのだが、 
    顔は逆三角形で、目が鋭くぎょろっとしていると言われている。 
    全体に薄い黒にちかい茶褐色の毛に覆われており、頭には5センチメートルほどの毛あり、逆立っているのが特徴。身体全体は、黒にちかい茶かっ色の毛に覆われているという。 
    動作は鈍く人を恐れる様子はないと言われている。 

    正体については、諸説いり乱れているが、 
    大猿や熊の見間違い、逃げたしたオランウータン、あるいは浮浪者か、世捨て人のように山で暮らす人ではないかと様々で、 
    昭和初期に、比婆山に近い山村で身重の娘が姿を消したという話から、その娘が山中で産み落とした子供が野生児としていきていたのではという話まである。 

    1974年10月11日の目撃を最後に、ぷっつりと消息がとだえている。 

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    29 : 本当にあった怖い名無し[] 投稿日:2012/02/17(金) 23:06:03.55 ID:g/p/KUb+0 [1/2回(PC)]
    バビロンの空中庭園 

    現在のバグダード郊外にそれらしき遺跡が残る。紀元前600年頃に新バビロニアの王、ネブカドネザル2世が、メディア出身で砂漠の国に輿入れするのを嫌がった王妃アミュティスを慰めるためにバビロンに建造した。 
    宮殿の中に作った高さ25m、5段の階段状になっているテラスに土を盛り、水を上まで汲み上げて下に流し、樹木や花などを植えた。あまりの大きさのため、遠くから見ると、あたかも空中に吊り下げられているように見えたという。 
    一番上の面積が60平方メートルと推定される。紀元前538年のペルシアによる侵略の時に破壊されたという。 

    ストラボンやディオドロスなどの歴史書やプリニウスの『博物誌』では言及されているが、ヘロドトスには知られていない。ニネヴェにあったという別の庭園と混同されているのでは、という説もある。 
    ストラボンの説明によると、柱や地下室は煉瓦で作られ、四隅を柱で支えられ高いところへ据えられた立方体のテラスに土を盛って庭を構成し、 
    その上にアーチ上の屋根が架けられていたという。「吊り下げられた庭園」という誤解があるが、それはギリシア語のkremastosまたはラテン語のpensilisの不正確な翻訳のせいらしい。 
    水を汲み上げる方法については、らせん水揚げ機などの説明がされているが決定的ではない。 

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    28 : 本当にあった怖い名無し[] 投稿日:2012/02/14(火) 21:36:25.75 ID:/uaWU3BS0 [1/1回(PC)]
    フィラデルフィア消磁実験 

     全ての準備が整い、メインスイッチが入れられた瞬間、不気味な振動と共に、テスラ・コイルの 
    周囲から異様なほど美しい青白い光が乱舞し始めた。やがて、ドーム状にエルドリッジの船体を 
    包み込むと、今度はどこからともなくシュルシュルッと虫の羽音のような音が響き渡った。 
    そして船内の至る所からパチパチッという電気的なスパークが発生し、その閃光が走った。この時 
    実に恐るべきことが起こった。エルドリッジの姿が消えたのである。大勢の軍人が見守る中、 
    忽然と消滅してしまった。資料には、それはあたかも霞のように空中に消えたと描写されている。 
     一方、エルドリッジの船内では、次々に異様な現象が起こり始めた。青白い光が船体を包み込むと、 
    頭上の青空は一瞬にして消え失せ、メインマストのアンテナと送信機材が超高熱で溶けてしまった。 
    被害は突出している部分ほど激しく、雷に打たれたように爆発して弾け飛んだとある。 
     強烈な電磁場に包まれた船内では恐ろしい事態が相次ぐ。体が燃え上がる者、 
    硬直状態になったままの者、おぞましいことに、船室の壁に体が埋め込まれてしまう者さえ続出した。 
    まさに船内は地獄絵図の様相を呈していた。この時すでに、乗組員のほとんどが精神錯乱状態にあった。 

     全てが終わった後、エルドリッジに乗り込んだ軍人たちは、この世のものとは思えぬ惨状を目にした。人体の一部、あるいは全身が真っ黒な灰と化した人間の姿、発狂したまま空をにらむ者、体が硬直したまま呼吸が停止した者、さらに異様なものがそこにあった。 
     船内の各所から、人間の体の一部が突き出ていたり、生えていたのである。正確に言えば、人体と船体が合わさった状態で発見されたのだ。 
    また、生き残ったエルドリッジの水兵は、全員例外なく体の不調から入院し、そこから精神病院に送られる者が続出している。結局、生き残った者で復帰した者はなく、全員廃人同然か死亡する結果となった。 
     関係者の間でかなり動揺が走ったが、信じがたい結果になった中での一応の成功とされた。

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    27 : 本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2012/02/13(月) 22:33:46.16 ID:yE+hHWAT0 [4/4回(PC)]
    ロンドン塔 

    ロンドン塔は、1078年に征服王ウイリアムによって要塞兼宮殿として建造された 
    当時としてはヨーロッパ最大の城である。それ以後も、各王によって拡張工事が続けられ、その結果、 
    18エーカーの広大な敷地には、いくつもの塔や館が建てられた。 
     この900年の歴史を持つ古塔は主に王位継承争いで破れた王妃、貴族、反逆者などを閉じ込める場所として 
    使われてきた。そして、残虐な拷問が繰り返し行われ、首を斧でたたき切るという残酷な処刑が長年続けられてきた忌わしい 
    恐怖の場所でもあるのだ。今では観光名所の一つになってはいるが、深夜一人では決して近づきたくない場所だといえよう。 
    また、ロンドン塔には地下75メートルにあって全く闇だけの小部屋があり、ここに入れられると、どんな意志の強い人間でも発狂したと言われている。 
    罪人は、恐ろしい闇と全く静寂だけが支配する恐怖の部屋で、苦痛と幻覚を味わった挙句に、精神が破壊されてしまうのである 

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    26 : 本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2012/02/13(月) 22:25:55.13 ID:yE+hHWAT0 [3/4回(PC)]
    劉備人肉を食す 

    戦に負け、敵将である曹操のもとへ落ちのびる道中、劉備は猟師である劉案という人物の家にかくまってもらいます。 
    劉案は疲れた劉備たちをもてなそうと、夕食に肉料理を準備しました。 
    劉備はその肉料理をとても美味に思い「何の肉ですか?」と訪ねたところ、劉案は「オオカミの肉です」と答えました。 
    翌朝になり、劉備は台所で劉案の妻の死体を発見します。死体の一部の肉が削ぎ取られていたため、昨日の肉料理が劉案の妻のものだったことに気づきます。 
    貧しいため食材を買えず、妻を振舞った話です。

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