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有名なものとして深夜に三河島駅を通過する電車の運転手が、構内に散乱する無数の礫死体を目撃したというのがある。
これは前出の「JRのこわい話」や
「お化けの住所録」の他にも色々な雑誌や怪談の本に登場するから一般的に知られているのだろう。もっとも出典は同じかもしれない。

この話は1962年(昭和37年) 5月3日に発生し、死者160名、重軽傷者325名を出した三河島事故
との因縁である。北千住-綾瀬間では、雨の日に黒いコートを着た男が線路を徘徊していて通りかかった列車がこれを轢いてしまったと思いきや、男はまたふらふらと歩き出し、やがて霧のように消えてしまうという話が「JRのこわい話」に掲載されている。

この黒いコートの男とはご説明するまでもなく、1949年(昭和24年) 7月5日の朝、日本橋の三越で消息を絶ち、翌6日早朝に北千住-綾瀬間のちょうど東武鉄道と交差するガード下付近にて礫死体で発見された下山国鉄総裁のことを指している。

有名な下山事件である。
下山事件にはその死因(生前轢断か死後轢断か)、動機(自殺か他殺か)犯人(GHQ説他)他、謎が多い。

下山総裁を轢断した田端駅発下り第869貨物列車の機関車は水戸機関区所属のD51 651号機だった。651は語呂合わせで「むごい」と読める。

この列車はなぜか田端を8分遅れて発車したが、事情を知る機関士は事件から1年後に急死している。
綾瀬駅構内の線路脇から誰が落としたのか、田端機関区の構内配線図が発見された。また日暮里駅の男子便所の壁に「5・19下山缶」という文字が書かれているのが発見された。

事件直前には常磐線の事件現場付近をふらふらと歩いていく紳士の姿が何人もの人に目撃されている。