ピトケアン島
南太平洋上に浮かぶイギリスの海外領土、ピトケアン諸島。
この島の周囲300kmには、他に人の住む島は無い。
この絶海の孤島に人が住み着くようになったのは、
バウンティ号の反乱事件である。1789年、
トンガ沖のバウンティ号で反乱を起こした乗組員たちは、
船を掌握すると一旦タヒチに戻った。しかし、その後本国の
執行官に逮捕されることを恐れ、首謀者のクリスチャンと
8人の反乱者はタヒチ島の現地人(男6人、女11人、赤子1人)を乗せて再び、
航海に出た。そして地図にない島、ピトケアン島を発見し、
そこを永住の地として船を解体して生活を開始する。
1808年1月にアメリカ船トパーズ号が、ピトケアン島にやってきた時には、
水夫のジョン・アダムスと子供二十数名、ポリネシア人女性10名が
ピトケアン島に生活しているだけであり、
残りの反乱者達は既に、病気、自殺、事故、喧嘩などにより死亡していた。
その後、島はアメリカ生まれのジョシュア・ヒルという
詐欺師によって支配され独裁政治が行われることになる。
1832年イギリス政府に派遣されたと嘘をついたヒルは、
逆らう島民達を投獄し、むち打ちの刑を課し島を支配したという。
その後1838年に、島民の訴えで事情を知った
イギリス海軍がヒルを追放するまで、この支配が続いた。
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