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オラが村は大きな街まで自動車で1時間の、いわゆる田舎町というやつだ。
イオンは無いけど、スーパーやコンビニくらいはある程度の田舎だと思ってほしい。
タイトルの時点で、オラが村の話だな、と気付いてしまった人は同郷のナカーマな。

さて、本題の「死ねしね様」なんだけれど、町では無害な存在だと広く知られてる。
やることといったら、人間の左耳にボソッと、「死ね」と囁くだけ。
物騒な名前をしているくせにホントそれだけの存在なんだよね。

部屋に独りで居るとき、「死ね」なんて囁かれると怖いは怖いが、実害はない。
無視していれば、そのうち飽きてしまうのか、どこかに行ってしまう。

しつこい時もあれば、アッサリと消える時もあって、これは「死ねしね様」の気分次第なんだと思う。
時間も場所もランダムで、独りの時もあれば、友達と遊んでいる時に聞こえたりもする。

「いま、死ねしね様に死ねって言われた!」とか、
小学生が自慢げに話すくらいには、オラが村では当たり前の存在として扱われている。
書いてて、いまさらになって思うけど、町の外の人間から見たら異常な光景だよな。
でも、オラが村では日常の風景に溶け込むくらいにメジャーな存在だったんだよ。

そんなオラが村にも文明開化の波がやってきた。
チェーンソーが山を切り開き、ブルドーザーが大地を耕すニュータウンというやつ。
大きな街には工場なんかの働き口もあるから、職場まで道路一本の住宅街ができたんだ。
街からは一時間の立地だし、街のほうに親戚も住んでるし、
閉鎖的でもないオラが村だから新しく来た人達と大きな問題は起きなかったんだけど、ひとつだけ問題があった。

問題になったのは、「死ねしね様」だ。
「死ねしね様」のなにが悪いって、ネーミングセンスが最悪に悪い。

で、事なかれ主義な教育現場、オラが村の小学校では、「死ねしね様」禁止令がでた。
とにかく、「死ねしね様」に関する話題は絶対に口外禁止というやつだ。
オラが村の大人達もテレビを見て常識はあるから、外から来た人をむやみに怖がらせるのも悪いし、
変な宗教扱いされるのも嫌だから、「死ねしね様」のことは話題に出さないようにしたんだよ。

で、おかしくなった。
具体的には、新しくできた住宅街、ニュータウンのほうで自殺とかの事件が起きた。
もっと具体的に言うと、「死ねしね様」のことを知らない人の頭がおかしくなり始めた。

耳元で正体不明のなにかに、「死ね」と言われ続けるんだから、たまったもんじゃない。
逆に言えば、無害なことを知っているからオラが村の人間は安心して居られたわけだ。
人生色々、人生が下り坂のときに、「死ね」と囁かれれば、そりゃ死ぬよな。って、当時の俺は思ってたんだけど、違った。

「死ねしね様」は、昭和の時代には「ちねちね」と呼ばれてた。
何が切欠で名前が変わったのかと言えば、「死ね死ね団」だ。
「死ね死ね団」はミラーマンに出てくる悪の組織の名前なんだが、
「ちねちね」と「しねしね」は音が似ていることから、そう呼ぶようになったらしい。

ミラーマンは1971年の作品だから、ちょうど半世紀前のヒーローだ。
当時、ミラーマンごっこをしてた世代は、もう60になる。
70近い、俺の爺ちゃんは、「死ね死ね様」に「ちね」と囁かれて育ったらしい。
でも、ミラーマンの放送を境にして囁き声が、「死ね」に変わったそうだ。

放送当時は「ちね」と「死ね」が混じっていたんだけど、
「死ねしね様」というパワーワードが強力すぎて10年もすると「ちねちね」が消えて、「死ねしね様」だけが残った。

昔は、耳元で「ちね」と囁かれていた。
今は、耳元で「死ね」と囁かれている。
まさか、「死ねしね様」がミラーマンにハマったわけでもないだろうし、おかしい。
おかしいと思っているあいだにも、ニュータウンの人たちは、おかしくなっていったんだ。

仮にA君と呼ぶとしよう。
当時の俺は高校生で、小学生の弟がA君の友達だったんだ。
家にも遊びに来てて、礼儀正しい子だったから好感度も高かった。
どれくらい好感度が高かったかというと、実の弟と交換してほしいくらいには高かった。
8割本気で2割冗談の口調になるが、許してくれ。
なかば身内のことだから、いまでもA君のことを思い出すとツライんだよ。

そんなA君が、急に遊びに来なくなった。
弟と喧嘩でもしたのかなと思っていたんだけど、小学校にも来ていないらしい。
1週間や2週間ならわかるけど、月単位になると、さすがにおかしいと弟も気がついた。
弟は弟で、なにかやってたらしいけど、小学生のやることだから無駄に終わったらしい。
そこで普段はあまり頼りにされていない、おにーちゃんの出番だ。
俺だ。

最初は、イジメかなと思っていた。
田舎の子供は心がキレイだからイジメがない、なんてことはない。普通にあるさ。
都会から移り住んできたA君だからこそ、逆に標的にされるこだってもあるだろう。
格闘技を習っていない俺だけど、さすがに小学生を腕力で脅すくらいはできるはずだ。
そういうわけで、イジメっ子の名前を聞き出そうとしたのだけど要領を得なかった。
聞けるには聞けたのだけど、まったくの意味不明だった。
なにせ敵の正体は、A君いわく「顔のオバケ」で、弟いわく「死ねしね様」だったからだ。

俺は弟とふたりでA君の家にお見舞いに向かった。
そこで目にしたのは、やつれ果てたという形容詞がぴったりな、A君の母親だった。
小学生の息子が月単位で不登校していれば、そうなるだろうなという表情をしてて、思い出すだけでも胸にキツイものがある。
疲れた果てた男は薄汚いだけだが、疲れ果てた女性というのは、なにか得体の知れない恐ろしさをまとっているものだ。

たぶん、なんだけれど、A君の不登校を起点にして家族関係が壊れだしていたのだと思う。
お見舞いに来た、という俺と弟を前にして口ではお礼を言ってくれるのだけど、家には上げたがらない様子だった。
その時点で俺は迷惑やら面倒やらになりそうだからお暇しようと思ったんだけど、弟はそうはいかなかった。
兄という強い味方を手に入れて強気になっていたらしい。
あまり、この兄を買いかぶってくれるな、弟よ。

食い下がり気味に玄関先で押し問答をしてると、A君の叫び声が聞こえた。
「あー!!」とか、「わー!!」とか、とにかく大きな音を出そうとしている必死の叫び声だ。
叫び声がしてしまって、A君のお母さんが、とても大きなため息をこぼしたのを覚えている。
大人になって理解したけれど、そんな息子の姿を見せたくなかったんだろうな。
もう隠しきれないのだし、と通された部屋で、俺と弟はA君と久々に顔をあわせた。

A君もお母さんに負けず劣らずに、やつれ果てていた。
以前、弟がお見舞いに来たときよりも、ずいぶんと顔色が悪くなっていたらしい。
頬がこけ、目が血走り、自分の左肩をバンバンと忌々しげに叩き続けていた。
ああ、「死ねしね様」を叩いているんだなと俺は思った。
「死ねしね様」が囁くのは常に左耳で、囁かれるとき、少しだけ左肩が重くなった気がするからだ。

A君は数か月前、「〇ね」という声を耳にして左を振り返った。
そして、「死ねしね様」の姿を目にしてしまった。
「死ねしね様」の姿を見たというのは初じめて聞く話だった。
以来、ほぼ毎日、ずっと張り付いたままなのだとA君は言った。

A君がやつれ果てているのは恐怖もそうなのだろうけど、
もっと単純に、眠れていないからだと思った。24時間ずっと、「〇ね」と左耳に囁き続けられれば、眠れるはずもない。

「死ねしね様は、死ねって言ってくるけど、無視していれば自然に消えるんだよ」と教えてあげたんだ。
でもA君は、くびを横に激しく振って、「違う」と言った。それから、「ずっと消えない」とも言った。

俺には、「死ね」と聞こえた。
爺ちゃんには、「ちね」と聞こえた。
でもA君には、「〇ね」と聞こえたらしい。
A君は、「〇ね」と何度も繰り返し言ってくれたのだけど、俺の耳には、「死ね」としか聞こえなかった。

何年もしてから、LとRを聞き分けられないことと同じ理由なのだと気がついた。
普段から「死ねしね」あるいは、「ちねちね」という言葉を聞いていたから、正しい発音を聞き取れなかった。
だから、「死ねしね様」の囁き声は聞こえても、いままでは誰も姿を見ることは無かった。
でもA君は、「死ねしね様」の話題が禁止されたあとに転校してきた子だったから、「〇ね」の正しい発音を聞いてしまったんだ

A君の書いてくれた「死ねしね様」は、顔面から直接手足が伸びた、幼稚園児が描いた絵のようだった。
幼稚園児の絵と違うのは、目の部分が異様なまでに鉛筆の黒で塗りたくられていたことくらいだ。
顔から延びる二本の手と足は、枯れ枝のように細かった。
小学生の画力だから恐ろしいとは感じられなかったけど、
「死ねしね様」の姿を必死で伝えようとするA君の筆圧が、「死ねしね様」の姿の恐ろしさを充分に表現してくれた。
この大きな顔が左肩に乗って、小さな手で左耳を掴み、「〇ね、〇ね」と囁き続けるのだと言う。

24時間、ほとんどずっとだ。
たまに離れてどこかに行っても、眠っている耳を掴んで囁いては起こしにくる。
当時の俺は、眠れないことの辛さを理解できていなかったから、恐怖よりも困惑のほうが大きかった。

俺としては、「死ねしね様」のことを何とかしてやりたかった。
けれども、よくよく考えてみたら、俺は何も知らなかったんだ。
正体とか、対処法とか、そういうことの一切を俺は知らなかったんだよ。
いったい何をしに来たんだよ、おまえは。

どうしよう、頼りないおにーちゃんでごめんな。
ということで、頼れるうちのお爺ちゃんを頼りにしたのだけど、うちの爺ちゃんも頼りなかった。
オラが村の神主なんだか住職なんだかも分からない、神仏習合な爺ちゃんも頼りなかった。
専門はお葬式で、妖怪退治は扱ってないと。素の表情で言われた。

「死ねしね」あるいは、「ねちねち」の話を先に聞いておくことが唯一の対処法だったんだよ。
そうすれば、「〇ね」の発音を正しく理解することはできなくなるし、実害も無くなる。
いままで実害が無かったから、ほかの対処法を探す必要もなかった。
だから、A君の不眠症に、現代的な方法では対応することができなかったんだ。

現代的と言ったのは、A君自身が解決法を見つけたからだ。
「死ねしね様」に取りつかれてしまったなら、その小さな手が掴まるための左耳を切り落とせば良い。
眠れないことに耐えきれなくて、台所の包丁を使って小学生のA君が自分の左耳を切り落としたらしい。

救急車のサイレンの音が鳴り響いた。A君が決行に及んだことを知ったのは、1週間以上のあとに噂で聞いた。
高校生、子供が知らなくていいことのひとつだった。

現代的とは言いがたいA君の対処の結果、A君の家族は遠くに引っ越してしまった。
高校生だった俺が知ることのできる噂話はそう多くは無かったけれど、幸せとは呼べない結末だったことだけは確かだ。
町を遠く離れたせいか、左耳を切り落としたせいか、もう囁き声が聞こえなくなったことだけは小学生の弟づてに知ることができた。
A君の両親が離婚したことも知った。差出人の苗字が、たぶん母方の姓に変わってた。

「死ねしね様」の正体について詳しく知ろうとすることは、
神主だか住職だか分からないオラが村の神仏習合な爺ちゃんに止められた。
お寺の横に無人の神社があって、明治時代から簡単な管理だけを任されていたらしい。
社会科の教科書で習う、神仏分離政策で、土地を半分にするという、とても分かりやすい対応だったそうな。

「死ねしね様」は、簡単に言えば祟り神の一種だ。
悪意をもって人間を傷つけにくるわけではないのだけれど、
接触を持つこと自体が有害、そういうモノが世の中には多々あるらしい。
幽霊、妖怪、悪霊だのに関わらず、ヤクザに麻薬、いくらでも世の中にはある。
だから、触らぬ神に祟りなし、厄介ごとに首を突っ込むな、そういうことだと諭された。
どこかの山に籠ってひたすらに修行し、生涯を掛けて挑むだけの覚悟が無いなら、やめとけ、と普通に言われた。

そういうわけで、「死ねしね様」は、いまだに元気している。
時間が過ぎて、もう古くなったニュータウンの人達は、いまだになにか、おかしい。
「ちね」でも、「死ね」でもない、どんな発音を耳にしているのかは、たまに気になる。
でも、絶対に知りたくはないとも思う。