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わたしが子どもの頃のお話をします。五月に入ったばかりの日暮れ時のことでした。
村の田んぼ中の一本道を「おほほほほぉ~」と絶叫をあげて走ってくるものがいます。


下の瀬の茂平です。肩に鍬をしょったままものすごい勢いです。
よく聞くと茂平はこんなことをがなり立てています。
「隣の仁吉さあ の倅はじつはオラの子じゃああァ 
あんまり仁吉の嫁がかわゆいて、オラ夜這いをかけたんじゃあああ~~~」

それをたまたま丘の畑で見ていた上郷のヲスエ婆さんが、
上からコロリコロリと前転をして下りてくると、
「嫁を56したのはオラじゃあ~ 立ち居振るまいの一つ一つが憎くての~
毎日少しずつ飯に農薬を入れとったのよォ~」
絶叫しながら茂平の後について走ります。

そうして田んぼの堰で泥遊びをしていた、
八歳の竹公の脇を走り抜けていきます。すると竹公は手網を放りだし、
「ごめんよお~ 寝小便して弟と布団を取り替えたのはオラじゃ~ 
ゆるしてけろォ~」そう言って後に続いて走ります。

一人また一人とその走る列に村人が加わります。
そして口々に自分の秘めた悪事をがなり立てます。
一本松を過ぎる頃には総勢三〇人ほどにもなっていました。
中には村の駐在や村長の姿も見えます。

「殺したのはオラじゃ~」 「憎くての~どうしようもなかったんじゃ~」
「みんなに瘡かきをうつしたのはオラじゃ~」
「吾作の水がめに糞尿を入れたのはオラじゃ~」
「次郎左の田んぼの堰を切りはなしたのはオラじゃ~」
「ゆるしてけろォ~ けろォ~ けろォ~」
全員のがなり声がまぜこぜになり、皆が皆大きな口を開けて天を向き、
村の一本道をよだれを流し息せききって走ります。

もう走る人は五〇人を越え、
村の一本道は行き止まりの旦那寺珍宝寺へと近づいています。
珍宝寺の前では、和尚のどんたく上人が一張羅の袈裟を着て待っていました。
そうして土煙をたてて走ってくる五〇数人の前に立つと、錫杖を振り上げ、
「喝!!」という大音声とともに地面に突き立てました。

するとそれまで疾駆していた人たちは、
皆憑きものが落ちたようにその場に立ち止まり、
中には疲労のあまりくたくたと崩れ落ちる人もいます。
和尚は皆を見渡すと一言、「ふん、狸じゃよ、ま~た化かされおってからに」
そうつぶやいて寺に戻って行きます。
その場の人たちは皆 照れくさそうに笑い、
ゆっくりと歩いて自分の家へと帰っていきました。
そうして次の日からは村は、何事もなかったように日常へと戻ったのです。

これはわたしが子どもの頃にあった本当の話です。