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俺の実家には、一つだけ「入ってはいけない部屋」がある。

そう言われたのは、物心ついた頃だった。
「この部屋には絶対に入っちゃダメよ」
母はきつい口調で釘を刺し、父も「ここは使っていない部屋だからな」とだけ言った。

ドアには鍵がかかっていたし、家族の誰もがその部屋について話したがらなかった。
俺も最初は気にしなかったが、成長するにつれて、その「タブー」の存在が無性に気になり始めた。

ある日、俺が高校生の頃。
家に帰ると、いつも閉まっていたはずの「その部屋」のドアが、わずかに開いていた。
背筋に寒気が走る。

部屋の中を覗こうとした瞬間、ひやりと冷たい風が足元を撫でた。
ただの風とは違う、"生ぬるさ"の混じった、不快な空気だった。

「……」
中は薄暗く、古ぼけたタンスや机が埃をかぶっている。
だが、それだけじゃない。
壁に無数の"爪痕"のようなものが走っていた。
まるで何かが暴れたような、鋭い引っかき傷が、部屋の隅々まで残されている。

(……なんだこれ)

気味が悪くなり、そっとドアを閉めた。
リビングにいた母に「あの部屋、開いてたけど……」と話しかけると、母の顔が一瞬でこわばった。
「……もうその話はやめて」
それ以上何も言わせない、強い口調だった。

父は新聞を読んでいたが、俺の言葉を聞いた途端、ピクリとも動かなくなった。
「……」
完全に無視するつもりのようだ。

そして、おばあちゃんが、かすかに震える声で言った。
「……あの部屋を開けるんじゃないよ」
俺はゾクッとした。
普段は優しい祖母の声が、妙に硬く、切迫して聞こえた。
それ以上、俺は何も言えなくなった。

それからしばらくの間、俺はその部屋に近づかないようにしていた。
だが、ある夜——
深夜2時。
喉が渇いて目を覚まし、リビングへ向かおうとした時だった。
「ギィ……」
あの部屋のドアが、また開いていた。

開けたのは俺じゃない。
家族も寝ているはずだ。

心臓がバクバクと鳴る。
逃げようとしたその時、部屋の中から、かすかに"誰かの声"が聞こえた。
「……ぃ……あ……」
子供の声?
いや、違う。
何かが這いずるような、喉の奥で濁った音が絡まるような、不明瞭な囁きだった。

俺は恐怖で足が動かず、硬直したままドアを見つめた。
そして——
「こっち、見ないで……」
その瞬間、俺の意識はそこで途切れた。

翌朝、俺は自分のベッドの上で目を覚ました。
喉はカラカラに乾いていて、全身が冷え切っていた。
「昨日……俺、どうやって戻った?」
訳がわからず、リビングに行くと、母が心配そうに俺を見つめた。
「昨日の夜、急に部屋の前で倒れちゃって……」
倒れた? 俺が?
記憶がない。

母は何かを言いかけたが、「やっぱり気のせいよね」と苦笑いして、台所に戻っていった。
——その日から、俺はその部屋に近づかなくなった。
高校を卒業し、進学を機に一人暮らしを始めた。
そして俺は、"実家に帰ること"を、自然と避けるようになっていた。

ある日、久々に実家のことを思い出し、ふとアルバムを開いた。
家族の写真の中に、見知らぬ子供が映っている。
家族全員で撮ったはずの写真。
——俺と姉の間に、"もう一人"、誰かがいた。
顔がぼやけてよく見えない。
「……なんだ、これ」

気味が悪くなってアルバムを閉じた瞬間、スマホが震えた。
実家の母からのLINEだった。
「最近、あの部屋がまた開くのよ……」

俺は、既読をつけずにスマホを伏せた。
……あの部屋が、今どうなっているのか。
もう確かめる気はない。