オーパーツ

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    現在、十数個が確認されており、そのほとんどがマヤ文明やアステカ文明、インカ帝国といった中南米の考古遺物とされている。

    当時の技術水準から考えてあまりにも精巧に造られているとも思えるためにオーパーツとして取り上げられる。

    イギリス人のF・A・ミッチェル=ヘッジスが1927年にベリーズ南部の古典期の遺跡ルバアントゥンで発見したとされる。

    ミッチェルの養女アナの17歳の誕生日に発見され、彼らが遺跡の調査を中断して水晶髑髏を私蔵したため。

    様々な憶測を呼んだ。このヘッジスの水晶髑髏(ヘッジス・スカル、運命の髑髏などとも呼ばれる)は実物大で、

    解剖学的にみても精緻に造られている。

    ヘッジスの水晶ドクロは、1個の水晶から造られていて「下顎骨」部分は、取り外し可能である。

    道具による加工痕がない。また、ひびも入っていない。

    水晶の石目を無視して彫られている。

    復顔をした場合、マヤ人と同じモンゴロイドの顔立ちになる。しかし年齢は特定できない。

    制作年代は不明。

    ヘッジスの水晶髑髏には特殊な効果がある。

    下から光を射すと、眼窩に光が集中する。

    その光を凝視していると1分弱で大半の人が催眠状態に陥るという主張もある。

    太陽の光を当てると全体が美しい虹色に光る。

    ロウソクの炎を当てると神秘的な紫色に光る。

    この特殊なレンズ効果の仕組み・構造は今もって分かっておらず、

    現在の最先端技術をも用いてもその再現は不可能であるという。

    「水晶ドクロは全部で13個あり、全てが再び一ヶ所に集結した時、宇宙の謎が暴かれる」

    「2012年までに一箇所に集めないと世界は滅びる」

    などの迷信や俗説がある。

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    コロンビアの首都ボゴタにある、国立銀行付属黄金博物館に展示されている。

    大きさは幅5センチ、高さ1センチほど、手に乗る大きさでペンダントなどの装飾品であったと思われる。

    これを鑑定した動物学者のアイヴァン・T・サンダーソン博士は、他のどの生物とも似ておらず、三角翼と垂直尾翼がありジェット機やスペースシャトルにも見えるといったことから、

    「ベル・ヘリコプター」の設計者として知られるアーサー・ヤングに検証を依頼した。

    彼の検証の結果は、航空力学の理にかなった形状をしているというものだった。

    これ以外にも、垂直尾翼がないもの、翼が大きく湾曲しているもの、目があるもの、ヒレや羽などの模様がついているものなどがある。

    また、発見場所のコロンビアとナスカの地上絵のあるペルーが場所的に近いことや、

    黄金スペースシャトルとナスカの地上絵の造られた年代が一致することから、なんらかの関わりがあるのではないかとも言われているが、定かではない。

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    スペイン語でラス・ボラス・グランデス(大きな玉)。

    石球のほとんどはタラマンカ山地のふもとに産する花崗閃緑岩が素材であるが、貝殻石灰岩によるものも少数存在する。

    大きさは直径2センチの小さなものから直径2メートルを超えるものまでと様々である。

    最大級の石球は重量にして約25トンである。現在、石球の持ち出しや売買は法律で禁じられている。

    誤差数ミリのほぼ真球であるとする主張もあるが、実際にはそのような計測結果は示されていないとする説もある。

    直径が部分によって5cm以上異なる球体もあるし、最大級の球体に関しては、焼畑の際の過熱によりかなり表面が崩れているのでどれだけ真の球体に近かったかは既に計測不能である。

    一方で表面の状態が良好なものも多く発見されており、南山宏や羽仁礼らが著した書籍において

    「米ハーバード大学研究員のサミュエル・ロスラップ博士によって、様々な角度から円周や直径を測っても最大誤差が0.2パーセントのものや、直径が2.0066メートルとミリ以下の単位まで全く同じ大きさの2個の石球も見つかっているという研究報告がある」

    と紹介されている。

    石球の配置には規則性があり、星座など天体を模しているという説もある。

    石球が持ち出されたり、黄金が詰まっているという噂が流れ石球が破壊されたりした為、配置について現在では調査不可能となってしまった。

    近年の調査で球に彫刻が残っているものがあり(Carved Sphere と呼ばれている)、彫られた線が星座の形を現しているという説が提唱されている。

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    当時知られていた最新の地理知識を使ったと考えられる航海地図で、1929年にイスタンブルのトプカプ宮殿博物館に収蔵された写本類の中から発見された。

    地図はガゼルの羊皮紙で作られたもので、インド洋を描いていたと思われる右半分は失われてしまっており、現存する部分は大西洋を中心に描いた左半分の断片である。

    大西洋を描く残存断片はこの海域の航海図になっており、陸地としてイベリア半島とアフリカ大陸北西部、南北アメリカの東海岸、および南アメリカから伸びる陸地が描かれている。

    南アメリカから伸びた陸地には、周辺を航行する船と、動物が描かれている。

    この地図は、クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸を「発見」し、アメリゴ・ヴェスプッチが南アメリカを調査してから間もない時期に描かれているにもかかわらず、

    アメリカ大陸を非常に詳細に描いており、コロンブスやヴェスプッチの原図が失われた現在では、アメリカ大陸を描いた史上最古の地図といわれる。

    地図に付された文によると、この地図は1513年に作成され、1517年にエジプトを征服したセリム1世に献呈された。

    ピーリー・レイースは、総計で33枚の地図を参考にしたという。

    ピーリー・レイースが地図を描くにあたって参考にした情報源には、イスカンダル王(紀元前4世紀のアレクサンドロス大王のこと)の時代から伝わるものを含んでいたともいわれる。

    8枚はイスラム世界の地理学者のもの、4枚はポルトガルの航海者の作成したもの、1枚はコロンブスの新大陸地図であるといい、残り20枚の詳細は明らかにされていない。

    この地図には、南アメリカの南から伸びた陸地がさらに東に伸び、大西洋の南へアフリカ大陸の下に回り込むように地図中に書き込まれているという不可解な点がある。

    この陸地は、地図が描かれた時代よりもかなり後の19世紀に発見された南極大陸の北岸とも思われることから、歴史史料としてよりも、むしろオーパーツとして世界的に有名になっている。

    オーパーツ説を取る人々は、ピーリー・レイースがイスカンダル王の時代から伝わる資料を基に地図を作成したため、古代から伝わる南極に関する正しい知識を利用することができた傍証であると考えている。

    南極大陸の陸地の完全な描写がなされている。

    南極大陸は、発見が1818年、全陸地の地形の地図化成功が1920年であるが、この地図には1513年当時、未発見であり、しかも氷に閉ざされていて当時の技術では観測不能であるはずの南極大陸の輪郭が描かれている。

    南北アメリカ大陸の海岸線が描かれている。

    コロンブスのアメリカ大陸到達は1492年であるが、それから20年少々しか経っていない1513年に海岸線の調査が進んでいるわけがない。

    地形の歪み方が正距離方位図法のようである。

    地形の歪み方や位置が、地図の図法の一種「正距方位図法」を用いて描いたものによく似ているが、

    正距方位図法でこれほどの地図を作るには、各地点の緯度、経度を正確に計らなくてはならない。

    しかし、経度の測定法が確立するのはクロノメーターが発明された18世紀である。

    と言われている。

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    デリーの鉄柱とはアショーカ王の柱の一つで、インド・デリー市郊外の世界遺産クトゥブ・ミナール内にある錆びない鉄柱のこと。

    チャンドラヴァルマンの柱とも。

    99.72%という高純度鉄で作られており、表面にはサンスクリット語の碑文が刻まれている。

    直径は約44cm、高さは約7m、地下に埋もれている部分は約2m、重さは約10トン。

    現在はデリー南部郊外メヘラウリー村のイスラム教礼拝所やその他の種類の歴史的建造物が集まったクトゥブ・コンプレックス(Qutb Complex)内にあり、インド有数の観光スポットになっている。

    紀元415年に建てられたといわれる。

    地上部分は1500年以上のあいだ錆が内部に進行していないが、地下部分では腐食が始まっている模様。

    鉄柱が純度の高い鉄製だから錆びないという。

    金属工学の専門家によれば、99.72%の純度ならば50年ほどで錆びるという。

    1500年の間風雨に曝されながら錆びなかった理由は、鉄の純度の高さではなく不純物の存在にあるという仮説が有力である。

    インドで産出される鉄鉱石にはリン(P)が比較的多く含まれている。

    また、インドでは鉄を精製する際にリンを豊富に含んだ鉄を薄い円盤状にして加熱しながら叩くと、鉄の表面はリン酸化合物で覆われる。

    その円盤を積み重ねてさらに叩いて一体化させれば、鉄柱の表面がリン酸化合物でコーティングされ、錆に強い鉄柱が完成するという。

    また、

    「この柱は地中深くに達し、地中を支配する蛇の王ヴァースキ(Vasuki)の首に刺さっている」

    という伝承があり、かつては観光客たちがその不思議な力にあやかろうと柱を触ったり、

    中には上までよじ登った者もいるという。

    現地の人々は体に油を塗って太陽光線から肌を守る習慣があり、

    その油が柱につくことによって錆を防いでいるのではないかという説もあるが、現在、柱の周りは柵で囲われているため、人が直接触れることは出来ない。

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    この機械は1901年にアンティキティラの沈没船から回収されたが、

    その複雑さや重要性は何十年もの間気づかれることがなかった。

    紀元前150 - 100年に製作されたと考えられており、同様な複雑さを持った技術工芸品は、その1000年後まで現れることはなかった。

    フランスの海洋学者ジャック=イヴ・クストーは1978年に最後に沈没船を訪れているが、

    「アンティキティラ島の機械」の残りの部分を発見するには至らなかった。

    アンティキティラ島の機械に関する最新の研究を指導しているカーディフ大学のマイケル・エドマンド教授は

    「この装置はこの種のものとしては抜きん出ている。デザインは美しく、天文学から見ても非常に正確に出来ている。機械の作りにはただ驚嘆させられるばかりだ。これを作った者は恐ろしく丁寧な仕事をした。歴史的にまた希少価値から見て、私はこの機械はモナ・リザよりも価値があると言わねばならない」としている。

    実物はアテネ国立考古学博物館の青銅器時代区画にデレク・デ・ソーラ・プライスによる復元品と共に展示されている。

    その他の復元品は米国モンタナ州ボーズマンのアメリカ計算機博物館、マンハッタン子供博物館に収められている。

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    1945年7月、ドイツ人実業家ワルデマール・ユルスルート(en:Waldemar Julsrud)がアカンバロの町外れにある通称「牡牛山(ブルマウンテン)」の麓で奇妙な土器を発見。

    考古学マニアであったユルスルートは使用人のティナヘロとその息子に発掘を命じたが、土偶は日々大量に出土しその数は最終的には七年間で32,000体にものぼった。

    2004年現在アカンバロで発掘された土偶は37,000点以上に及ぶ(ただし、その全てが恐竜土偶というわけではない)。

    ユルスルートは考古学的な調査が行われる事を期待していたが、考古学者チャールズ・ディ・ペソ(en:Charles C. Di Peso)によって捏造との指摘を受けた事に落胆し、

    1952年を境に土偶の収集を中止した。

    しかし、ユルスルートの友人であった地質学者チャールズ・ハプグット(en:Charles Hapgood)教授(当時、

    ニューハンプシャー州キーン州立大)は1968年、土偶のサンプルを三種類用意してニュージャージー州の年代測定専門会社の研究所に調査を依頼し、

    C14法(ベータ線計数法)で測定したところ、紀元前1000年から紀元前4000年という結果が出たとされる。

    翌年、ハプグットの友人である航空設計技師のアーサー・ヤング(ベル・ヘリコプター設計者)がペンシルベニア大学研究所に熱ルミネッセンス法での測定を依頼した所、

    こちらでは紀元前2500年±250年という結果が出たとされる。

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    古代エジプトのグライダー とは、

    BC200年前後のプトレマイオス朝時代(したがって、時代区分から言えば「古代エジプト」ではない)の墳墓から発掘された、15センチほどの木製品のことである。

    カリル・メシハという医学博士がこれを飛行機だと主張し、

    同様の模型を作成して飛ばしたところ、かなりの距離を滑空することが判明したと言う。

    軽量のいちじくの木で作られていることから、

    模型を小型飛行機の大きさに拡大しても十分に飛行が可能であるとも言われている。

    だが、この模型を自由飛行型模型飛行機として見た場合、

    主翼と垂直尾翼は備えているといえるが、水平尾翼に相当する部分がないため、

    ピッチ安定が極めて不充分であり、また主翼には上反角が付いていないため、ロール安定性にも乏しい。

    したがってこの模型が滑空するとは考えられず、「同様の模型がかなりの距離を滑空した」という証言には疑問がある。

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    ハトホル神殿の壁画とはエジプトのハトホル神殿で発見された壁画です。

    これにはフィラメントの入った電球らしき絵が描かれているとしてオーパーツと言われることがあります。

    もちろん,この時代には電気を作り出すものなど存在しないはずです。

    この絵を見ると証明電気と高電圧絶縁器のようなものが描かれているように見えます。

    しかし,これはよく見ると蛇であって,電球ではありません。

    遺跡からも電球らしきものは出土していないので,電球と考えるのは難しいです。

    またエジプトには電気が存在したという記録は残っていません。

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    ヴィマナとは、古代インド最古の古典「リグ・ヴェーダ」叙事詩『ラーマーヤナ』および叙事詩「マハーバーラタ」に登場する自在に空を飛ぶ乗り物のことである。

    現代の航空機のようにさまざまな形式があり、

    多くは叙事詩に登場する英雄たちによって戦争などに使用されている。

    大気圏または、大気圏外への航行が可能な幾種類のヴィマナがあったとされ、

    インドにおいてはこの故事からジェット機のことも「ヴィマナ」と呼んでいる。

    最初にヴィマナの定義が書かれている。

    それによるとヴィマナとは

    「飛行術の専門家によれば、空中を国から国へ、島から島へ、世界から世界へ飛行して移動できる機械」

    とされる。

    次に、パイロットが精通していなければならない、ヴィマナの機能に関する32の“秘密”、

    これらは機体の構造、離着陸と飛行の性能、操縦の方法の3種類に大別され、

    どの装置をどう使えば能力を発揮できるかが説明されている。

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